おはようございます。
今日は、1サムエル1:19-28です。
ハンナがサムエルを生んで、神殿に捧げるシーンです。
不妊であった女性が子供を生むという構図は、聖書の中で繰り返し語られます。
アブラハムの妻サラや、今日のハンナなどが代表的な女性たちです。
そして、この構図は、洗礼者ヨハネの母であるエリザベト、そして、イエス様の母マリアに受け継がれていきます。
人間の力ではなく主の恵みによって奇跡的に子供が生まれる物語は、全てイエス様の母マリアへ向かった啓示でした。
ハンナは、強い祈りをもって、信仰を持って主に求めた故に与えられた子供です。
その信仰は、主によって与えられたのだから、主にすべて捧げるべきという行動を起こします。
ハンナは、乳離れするまでは子供のサムエルを自分のもとに置きましたが、
その後は、神殿にささげ、エリのもとに預けました。
律法ではここまでする必要はおそらくありませんでした。
主に捧げられたナジル人も、なにかの請願を立てるだけで、通常の生活をすることができたからです。
ハンナの請願は、律法を超えて働いて、愛する子供を神殿に捧げたのでした。
つまり、律法を超えて独り子を神のみ前に捧げるとは、アブラハムが約束の子イサクを祭壇に捧げたのと同じです。
父なる神様が御子イエス・キリストを地上に送り、いけにえとされたのと同じです。
ハンナの信仰の行為は、神の愛の模範であって、それを表現したものでした。
27-28節「わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」」
サムエルは預言者としての働きだけではなく、幕屋にあって祭司の役割をしました。
また、王を立て、王の相談役でもあり、さらに、預言者たちの教育者でもありました。
そして、歴史として聖書の編纂をした人でもあります。
サムエル一人のイスラエルに対する影響力は、強大であり、サムエルがいなければ、結局、今のイスラエルはないと言っても良いでしょう。
その偉大なるサムエルの人生を支えていたのが、母ハンナの信仰、祈り、そして献身だったのです。
どのように偉大な信仰者においても、誰かの祈り、誰かの導きなしに、偉大なものとなることは出来ません。
主にあって、どのような祈りも、どのような捧げものも、無駄にならないことを私たちは確信出来ます。
短い祈り、長い祈り、小さい捧げもの、大きい捧げもの、そのようなことは関係なく、すべて主に受け取られ、すべて主が応答して下さいます。
私たちが、全く気付かないうちに、叶えられるものも、死んで何年もしてから叶えられるものもあるでしょう。
神の国に入るその時まで、私たちは気が抜けなく、祈り続けるべきです。
私の踏むすべてのあしあと、触る場所、見る場所にあるすべての人たちが祝福されるように、祈るべきです。
その小さな祈りが、主によって、大きい御業にしてくださることを期待します。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。