「神学つれづれ」カテゴリーアーカイブ

神の身体性の応用

神の身体性、つまり、人間に対する三一神の存在論的愛を考えると、障害者に対する視点が変わるという神学的な效果が生まれるのだと言うのは目からウロコだった。 障害者でも、愛される。 障害者でも、尊い。 このような比較意識に基づ… Read More: 神の身体性の応用 »

われ思う故に・・・

『我思うゆえに我あり。』 これが、近代の出発であり、私たちの世界が立つ場所である。 そこに絶対的な神の居場所は、確かにない。 まさにクリスチャンは、哲学的な迫害と戦いの中で生きるしかない。 絶対的な神は沈黙しかしないから… Read More: われ思う故に・・・ »

無神論の用い方

自然科学と聖書は矛盾しないと、本気で思っている人がいる。 そして、ほとんど暴力的にその価値観を押し付けてくる、創造論の原理主義者もいるのが事実である。 (ちなみに、科学と言えば範囲が広すぎて、考古学なども含まれてしまうの… Read More: 無神論の用い方 »

注入か?転嫁か?

ハイデルベルグ信仰問答と、ウェストミンスター小教理問答を学びながら気が付いたことがある。 宗教改革の当時、カトリック教会は義認を、聖霊様の義の注入と考えていた。 つまり、義の注入は確かに恵みで起こるが、それは義人となるこ… Read More: 注入か?転嫁か? »