おはようございます。1サムエル2:12-21でした。
サムエル記は、ハンナの信仰の祈り、賛美を記録した後に、すぐ、エリの息子たちの罪を描きます。
主の栄光に輝くハンナ、サムエルの家族と、罪に溺れ主に裁きを受けるエリとその息子たちが、強烈に対比されています。
エリの息子たちの罪は、1番目が主への捧げ物を軽く見たことでした。
そのことが、今日の箇所に詳しく描かれています。
彼らは祭司であったにも関わらず、捧げ物の意味を考えませんでした。
捧げ物の一番良いところだけを盗むように取っていったのです。
このようにエリの息子たちが主を知らなかったのは、エリの教育の責任と聖書は見ています。
もし、エリが祭司ではなく、普通の人であったなら、子どもたちの教育の責任まで取ることはなかったでしょう。
しかし、祭司は、ただ礼拝を司るだけではなく、教育もすべき立場でした。
祭司の職務を怠ったことが、エリの良くないところでした。
もちろん、祭司という職務が世襲であったことも、その原因の一端でしょう。
祭司の子供だからといって、次の祭司として育てられたのですが、それが逆に高慢さを引き起こしました。
聖書は、いかに血筋だといっても、信仰が引き継がれるわけではないことを、数多くしるしています。
信仰は、祈りと恵みだけによって継承されます。
人間の教育と努力、資産はそこではなんの意味も持ちません。
ハンナとサムエルの物語が輝くのは、そこに強い祈りと、主の恵みがあったからです。
レビ族ではない出自のサムエルが、祭司となり、預言者となったのは、ただただ恵みの中にあったからでした。
ハンナは毎年、サムエルに会いに行きながら、主への祈りを欠かすことはありませんでした。
信仰によって、サムエルを捧げた報いは、5人の子供を産むという祝福で現れます。
主を軽く見たエリの息子たちは、主に軽く見られて裁かれました。
主を第一に求めたハンナは、息子サムエルという最も重たい捧げ物をして、主に重く見られて祝福されました。
私たちは、他人はもとより、自分にでさえ裏切られる存在です。
ただ、主のみが、裏切ることなく、私たちに祝福をお与えになります。
神の愛に応えるものに、神の御業で返してくださいます。
信仰によって求める祈りは、虚しく地に落ちることはなく、必ず主のもとに届きます。
ハンナは、サムエルが産まれるときだけではなく、継続して、その祈りと信仰を捧げてきました。
私たちも、祈りが主に届くことを知っているものとして、今日も神の愛に応えて、信仰を捧げるものとなりましょう。
――――――――――――――――――
東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。