『我思うゆえに我あり。』
これが、近代の出発であり、私たちの世界が立つ場所である。
そこに絶対的な神の居場所は、確かにない。
まさにクリスチャンは、哲学的な迫害と戦いの中で生きるしかない。
絶対的な神は沈黙しかしないからである。
しかし、私たちは強くこう言うだろう。
『我信じるゆえに我あり。』
この地平線には、私のために死を体験された神の居場所がある。
それは絶対的な神ではなく、その絶対性さえも私たちのために犠牲にされた神である。
クリスチャンが哲学者達から学ばなければならないのは、この言葉の絶妙な使い方であり、徹底的な批判精神だと思う。
Eユンゲルは、人間の言語こそが、三一神が、私たちにご自身を知らせるためのものだと理解している。
言葉の大切さを深く黙想する礼拝を過ごそう。