われ思う故に・・・

投稿者: | 2017年4月22日

『我思うゆえに我あり。』

これが、近代の出発であり、私たちの世界が立つ場所である。
そこに絶対的な神の居場所は、確かにない。

まさにクリスチャンは、哲学的な迫害と戦いの中で生きるしかない。
絶対的な神は沈黙しかしないからである。

しかし、私たちは強くこう言うだろう。

『我信じるゆえに我あり。』

この地平線には、私のために死を体験された神の居場所がある。
それは絶対的な神ではなく、その絶対性さえも私たちのために犠牲にされた神である。

クリスチャンが哲学者達から学ばなければならないのは、この言葉の絶妙な使い方であり、徹底的な批判精神だと思う。

Eユンゲルは、人間の言語こそが、三一神が、私たちにご自身を知らせるためのものだと理解している。

言葉の大切さを深く黙想する礼拝を過ごそう。