1月16日早天メッセージ

投稿者: | 2018年1月17日

おはようございます。
今日は、1コリント7:1-16でした。

この7章全体は結婚について述べています。
ただ、使徒パウロがここに書いてある結婚観は、一般論ではありません。
私たちに、すぐ直接、適用出来るものではないのです。

 

ですから、まずコリント教会にどのような人たちがいたのか?を知らないといけません。

コリント教会には、6章までで書いてきたように、不品行に走る者たちがたくさんいました。

そして、逆に極端に禁欲主義へ走るグループもあったようです。
結婚や、夫婦の交わりさえも、クリスチャンにはふさわしくないという意見がありました。

このように、極端に不品行なものたちと、極端に禁欲的なものたち、2つのグループに同時に手紙を書いているので、7章の真意を読み取ることが困難になっているのです。

独身の利点を述べたかと思えば、結婚にも利点があることを述べています。
禁欲を述べたかと思えば、結婚においての交わりを聖いものと述べています。

このような中から私たちが読み取るべきことは何でしょうか?
それは、7節の後半にあります。

7節「しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。」

私たちはそれぞれ、賜物にそって生きるべきだということなのです。

つまり、結婚をするなら、主から頂いた結婚をすべきであり、独身を貫くなら主から頂いた独身を貫くべきだということなのです。

人間の自然な姿が結婚であるから結婚するとか、結婚したくないから独身を貫くとか、人間的な考えによってそれを決定してはならないのです。

結婚も、独身も、ただ神からのみ与えられるべきものなのです。

 

さらに、このようなことを通して、使徒パウロは、コリント教会にいた禁欲主義者たちの傲慢さを打ち砕こうとしています。

禁欲主義者たちは、自分たちこそが聖く善良であり、神に従っているかのように自慢していました。
まさに、彼らはファリサイ派の落とし穴にはまっていたのです。

自分たちが正しい信仰を持ち、正しい礼拝を捧げ、正しい祈りと奉仕をしていると、考えるものを、聖書は批難します。
ついつい、主から頂いたものを、自分のものであるかのように錯覚するのが、私たち人間の罪性だからです。

ですから、私たちは、気をつけなければなりません。
今日の一日が、主から頂いた賜物であることを忘れず、右か左か、行くか止まるか、主の導きを求め従うものとなりましょう。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。