雪は大丈夫ですか??
今日は、1コリント9:19-27でした。
今日の箇所は、まさに使徒パウロの人生を表している場所です。
その「生きざま」が見えます。
私達は、この使徒パウロの生きざまを見ながら、使徒パウロに焦点を当ててはいけないことにいつも覚えなければなりません。
そのようにして、一番怒るのは、とうの使徒パウロでしょう。
私たちは、今日の箇所を読みながら、はっきりと頭に浮かぶのはイエス様の姿であるはずです。
19節「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。」
神ご自身という、最も自由をお持ちの方が、罪の奴隷である肉となって地上に来られました。
しかし、それは全ての人に永遠の命を得させるためでした。
20節以下の生き方は、まさにイエス様の生き方を表しているのです。
24-27節から書いてある内容は、競技の話に変わります。
この、ひとつの目標に向かって、ひたすら走る人生も、まさにイエス様そのものでしょう。
使徒パウロは、本当に忠実にイエス様の歩んだ道を、そのまま従順に歩んだ方でした。
使徒パウロの人生がクリスチャンとして輝いているのは、イエス様の光がそこに見えているからにほかなりません。
ですから、私達も使徒パウロと同じく告白しなければなりません。
私はイエス様によって、命を与えられたのですから、私達が生きることは、キリストが生きることなのです。
もし、私の中にあるイエス様の働きに従わないのであれば、私は生きてはいないのです。
使徒パウロのように、人生の全てをかけて海外へ宣教をし、命をささげることは出来ません。
しかし、私たちは、人生の全てをかけて、ひたすらイエス様を証しすることは出来ます。
私たち使徒パウロのように、働くことは不可能です。
しかし、私たちは、イエス様のように働くことが、聖霊様によって可能なのです。
今日一日、忠実に私の中で働く主に従うなら、それは私の今日という命をささげることになります。
その時、「何とかして、何人かでも救うために」、福音にあずかる者として、生きるでしょう。
この福音によって仕事をし、この福音によって勉強し、この福音によって生きることを決心して、
ひたすら、主の道に従順する私と皆さんとになることを信じます。
最後の日、よくやった忠実な僕だ、と私たちを抱き抱えられる主を期待します。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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