1月29日早天メッセージ

投稿者: | 2018年1月30日

おはようございます。
今日は、1コリント12:1-11でした。

今日の箇所は、「教会はキリストの体である」というメッセージの序論として使徒パウロが書いた箇所です。

まず、1~3節において、コリント教会の兄弟姉妹たちの共通点を見出します。
それは、兄弟姉妹たちみんな「イエスは主です。」といって集まった人たちだったという事です。

いや、むしろ、このこと以外に教会は、集まる理由がありません。

もし、これ以外の理由で集まるなら、教会はchurchではなく、assosiationの協会となります。
もし、そうなったら、もはやそこは父なる神様の御心が表される場所ではありえません。

実に、教会が分派争いや賜物の自慢大会をするのは、この「イエスキリストは主です」というたった一つを忘れた時に、始まります。

だから、使徒パウロは、問題だらけのコリント教会の兄弟姉妹たちに、何よりこの事実を知らせたかったのです。

教会が、目に見えるからこそ、世の集まりと同じように見たいという誘惑に、いつも攻撃を受けていることを忘れてはなりません。

だから、集まるたびごとに、「イエスキリストは主」だからこそ、私達はここにいるのだという事実を、確認しなければなりません。

 

3節が言うように「イエスキリストは主です。」と告白するのは、聖霊様の働きでした。
同じ聖霊によって、様々な異なった賜物が与えられると、4節から展開していきます。

ここで、落ちやすい落とし穴を、知っておきましょう。

11節にはこのように書いてあります。
「これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」

大切なのは、「霊は望むままに」の箇所です。
新改訳で見ると「御心のままに」と訳されています。

私達が注意しなければならないのは、聖霊様の望み、主の御心が何か?ということです。

ヨブ記を見れば不思議です。
ニネベを滅ぼそうとするのも、神の御心であり、ニネベを助けようとするのも神の御心でした。

ひとつの同じ主の御心が、異なった目に見える行動を表すこともあるということです。

私たちは弱いので、いつも神の御心は同じに働くと考えてしまいます。
だから、昨日までの道と、今日の道は目に見える形で「同じ」だと思いたいのです。

しかし、昨日まで歩んだ道と、今日歩むべき道は、同じ保証は全くありません。

私たちは地上から見て「まっすぐ」歩もうとしてしまいます。
しかし、地上的には曲がりくねった道を歩んでいても、主に向かって、まっすぐ歩んでいることだってあるのです。

イエス様が例えられた、神の前に祈る2人を思い出します。
1人は、私が正しい人である事を感謝しますと祈り、1人は、私は罪人であることを哀れんでくださいと祈りました。
どちらがまっすぐ神のもとに来たのかは、ご存知の通り、罪人の方でした。

 

ですから、私たちは、主の御心を祈り求めなければなりません。
私がまっすぐだというのと、神ご自身がまっすぐだというのは、全く違う意味からです。

 

主よ、昨日も今日も明日も変わらない聖霊様の働きが、今日どのような不思議な業を成し遂げて下さるのでしょうか?

主よ、今日、主の御心のまま歩むべき道は、どこにあるのでしょうか?

主よ、今日、聖霊の働きで表そうとしている賜物はなんですか?

私たちは祈り求め歩むことで、「まっすぐ」神の方へ進むことを期待します。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。