2月6日早天メッセージ

投稿者: | 2018年2月6日

おはようございます。
今日は、2/6/2017 本文交読(1コリント15:1-11)

1コリントにおいて、15章がクライマックスです。

非常に勘違いしやすいのは、ここでキリストの復活を証ししているのではありません。

おそらくコリント教会の信徒の中で、イエス様が復活しなかった、などと言う者はいませんでした。
1節に書いてある通り、彼らは福音を信じたからです。

使徒パウロに、イエス様の復活に関して、何か『歴史性』を証明したいんだ、という意図はないのです。

ではなぜ、パウロはイエス様の復活の話をしていくのでしょうか?

コリント教会の人たちは、使徒パウロが死者の復活(私たちの復活)を述べた時に、それが信じられませんでした。
イエス様の復活は分かるが、自分たちが死んで復活するなど、信じられなかったのです。

ギリシア哲学を学び、その文化にいた彼らにとって、肉体が復活するなど、有り得ません。
ですから、このパウロが述べ伝えている死者の復活が、もしかしてパウロのオリジナルでは?と疑っていたわけです。

使徒パウロは、それに反論します。

ですから、1、2節によって、あなた方が信じている福音は、私も受け取ったものであることが強調されます。
すでに信じているものこそが、教会がずっと信じ告白してきたことで、それによって兄弟姉妹は救われているのだというのです。

 

そして、3節から、福音の内容を補足していきます。

この文脈で重要なのは、「聖書に書いてある通り」という言葉と「現れ」という言葉です。

イエス様の復活は、誰かが勝手に考えたことではない。
聖書に証しされている、神のご計画であることを強調しました。

そして、復活のイエス様が、12使徒たちに「現れ」ました。
初代教会のメンバー500人以上の人たちに「現れ」ました。
最後に、使徒パウロにも「現れ」たのです。

「イエス様が現れた」ということこそが、重要なのです。

これこそが、福音です。
これこそが、福音を信じる唯一の理由であり、私たちが救われる唯一の事実です。

そして、イエス様が現れた人は、どのような人なのでしょう?

10節「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」

なんとも感動的な告白です!

今日の私があるのは、神の恵みによるのです!
イエス様が私に現れてくださったからこそ、今日の私が生きているのです!
このように、人生をかけて告白する人は幸いだと信じます。

働いたのは、実は私ではなく、私と共にある神の恵みなのです!
このように、心から告白できるとは、なんと素晴らしいことでしょうか?

 

ルターはこの箇所にこのように注釈を入れています。

「神は、自信たっぷりの思い上がった魂を持ちようとは欲しない。
以前には、もみくちゃにされ、誘惑された落胆し、意気消沈させられていたような人びとを用いようと欲する。」

私たちは、神の恵みを無駄にしてはなりません。

神の恵みを無駄にしないためには、福音のスタートラインにもう一度立つべきです。

イエス様が私に現れてくださった。

そして、神の敵であった私が、神の味方として作り変えられた。と告白することです。

今日、私が仕事し、働いて、喋っているのは、神の恵みである!と、告白する一日を歩むことを信じて期待します。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。