早天メッセージ6月12日

投稿者: | 2017年6月12日

民数記14:26-38でした!

〇荒れ野の訓練にとことん付き合うイエス様

ついに、荒れ野の40年が決定されます。
いつまでも不信仰であるイスラエルに、何が起こったでしょうか?

主は、その不信仰を取り除かれようとされました。
まさに不信仰を表明した第一世代は、荒れ野で死ななければならなかったのです。

この状況は、私の中での、不信仰と、信仰の戦いにおいて非常に重要なことを気づかせてくれます。

私の中にある不信仰が、いつまでたっても、そのままならば、主は荒れ野へ私たちを送ります。

この不信仰の『古い自分』が死ぬまで、主は私を訓練するわけです。
私たちは、自分の中をよく吟味して、この不信仰を、悔い改める必要があります。

ただ、注目すべきは、私たちの悔い改めではありません。
そうではなく、主がそこで何をされるか?が大切です。

ここに、私たちの忘れてならない希望があります。

不信仰のイスラエルの民と40年間、ずっとつき合った人がいました。
彼らは、カナン地へ導き入れる信仰のリーダーでもありました。

ご存じのとおり、ヨシュアとカレブがいたのです。
主の命令によって、2人は40年間の旅を不信仰のイスラエルと共にしました。

この2人は信仰があったのですから、最低でも二人の家族だけで、カナン地へすぐ入っても良かったのです。
ヨシュアとカレブ以外の不信仰だっあイスラエルだけが、荒れ野でさまよえばよかったはずです。

もし、主が罪を単純に懲らしめる方であるならば、そうなさったでしょう。
でも、主はそうなさいませんでした。

主の御心は、信仰の導きによって、不信仰が取り除かれること、だったのです。

もし、この2人がいなければ、イスラエルの不信仰が消えることは無かったでしょう。
新しく生まれた第二世代も、不信仰に汚染されたことでしょう。
しかし、ヨシュアはきちんとイスラエルをカナンへ連れていったのです。

ヨシュア、まさにこの名前は、イエス様の名前です。

イエスキリストは、私の不信仰に『とことん』つき合われる方なのです。

私の中にある不信仰を、主はほおっておかれません。
私の不信仰は取り除かれる必要があります。
その時、私たちは荒れ野を通るでしょう。

しかし、イエス様は不信仰の私と共に、荒れ野の旅を行かれます。
イエス様は、荒れ野の訓練のなか、私の不信仰を、信仰へと導いてくださるのです。

いついかなる時も、私は一人ではありません。

信仰ある時、私は、もちろん、イエスキリスト共に歩みます。
そして、まさに不信仰の時、私はイエスキリストと共に歩むのです。

私たちは信じ切って、信頼しきってOKです。

今日の歩みの中で、イエス様が『とことん』つき合って下さることを信じ、期待するものとなりましょう。

P.S.
さらに、イエス様の信仰によって、私の不信仰が導かれるのであれば、次のことも真実となるでしょう。

今日、イエス様に導かれた私の歩みが、まさに不信仰である隣人たちをも導くことができるということを。

私に、とことんイエス様が付き合ってくださるなら、
私も、隣人にとことん付き合おうではないでしょうか。