おはようございます。今日は、詩編44:10-27でした。
昨日に引き続き、詩編44篇です。
今日の10節に入ると、ガラリと雰囲気が変わります。
10節「しかし、あなたは我らを見放されました。我らを辱めに遭わせ、もはや共に出陣なさらず」
今は、敵による迫害によって、踏みにじられている状況に転換しています。
18,19節で、少し回復します。
19節「我らの心はあなたを裏切らずあなたの道をそれて歩もうとはしませんでした。」
私は、この苦しみの中でも、あなたの道を歩もうと思ったのです。
こんな私を、見てください!という祈りがここにあります。
しかし、正しい信仰の道を歩んでいたとしても、苦しみは続きます。
23節「我らはあなたゆえに、絶えることなく殺される者となり屠るための羊と見なされています。」
もう、救いようがないくらいの苦しみだということです。
24節から、作者は叫んでいます。
まるで、主が眠っておられるようだ。
まるで、主が私を忘れておられるようだ。
彼の信仰までもが、揺れ動かされる状況に落ちていました。
27節は、ギリギリの告白でしょう。
「立ち上がって、我らをお助けください。我らを贖い、あなたの慈しみを表してください。」
この詩篇は、ここで終わります。
信仰が無くなるか無くならないか、ギリギリの苦しい状況のまま終わるのです。
私たちが、この詩篇を味わう時、
『なるほど、どのような理不尽な苦しみの中でも、主に助けを叫んで祈るべきだ。 そうすれば、勝利がやってくるんだ』
このような適用で終わってはなりません!
それは、この詩篇の真意ではないからです。
この詩篇を、解釈した人がだれかと言えば、まさに使徒パウロです。
ローマ書8:36で、この詩篇44:23を、引用しています。
注目は、引用個所の次です。
ローマ書8:37「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」
使徒パウロは、この理不尽な苦しみ、信仰が無くなるほどの苦しみを、主の愛による勝利に結びつけています。
ここで『そうそう、この理不尽な苦しみが、勝利へと変えられるんでしょ?』という解釈は間違っています。
使徒パウロは、なんといっているのでしょう? 「これら、すべてのことに【おいて】」と言っています。
つまり、このような苦しみの中で、勝利を収めていると言っているのです。
この理不尽な苦しみが過ぎ去って、それから勝利を収めるとは言っていません。
この苦しみこそ、まさに主の愛の勝利だと言っているのです。
このことが、詩編44篇の真意ではないでしょうか。
作者は、今受けている理不尽な苦しみが、主が私を愛している証拠であり、主が私を導いている証拠であることを告白しました。
主が眠っておられるような状況、主が私を忘れてしまったような状況。
この中に、主の勝利があるのです。
そう、主の沈黙の時こそが、最大限に、主が愛を語っている時なのです。
イエス様が十字架において死なれたとき、父なる神様は何をなさっていたでしょうか?
そうです。 父なる神様は沈黙されていました。
何もなさらなかったのです。
父は、眠っておられるようでした。
父はイエス様を忘れてしまったようでした。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」と叫んだのは、幻想ではありません。
現実として、本当に父なる神様は、イエス様をお見捨てになったのです。
十字架の死によって、神の愚かさと、神の弱さが私たちに示されました。
しかし、父なる神様がお見捨てになって、イエス様が死ぬことこそが、神の愛でした。
だからこそ、この死が、神の勝利だったのです。
私たちは復活以後に生きていますから、どうしても、復活を勝利と考えがちです。
しかし、復活があったから、主が勝利された、というわけではありません。
十字架の死の時に、すでに、イエス様の勝利されていたのです。
私たちは、主の勝利を!主の平安を!と叫びながら、世の勝利と世の平安を求めている時があります。
だから、信仰を読み誤るのです。
主の勝利とは、なにか?
それは、死という敗北の真っただ中にあります!
主の平安とは、なにか?
それは、理不尽な苦しみの真っただ中にあります!
敗北が勝利に変えられたリ、苦しみが平安に変えられるから、ハレルヤなのではないのです。
敗北の中にこそ勝利があり、苦しみの中にこそ平安があるのです。
詩編44篇の作者が、苦しみで詩編を閉じた理由は、これです。
私たちは、今日、主がお許しになる世の敗北を味わうかも知れません。
しかし、世の敗北において、私たちは主の勝利を得ているのです。
私の状況環境が変わらなくても、 主がまるで眠っておられるかのようなとき、
主がまるで、私を忘れられているかのようなとき、 まさにそのとき、主の勝利は、すでに、そこにあります。
そのような主の勝利に、出会うことを信じて期待します。