おはようございます。
今日は、イザヤ7:10-25でした。
昨日に引き続きアハズ王に対する預言が語られる場所です。
今日の個所は、新約聖書で引用される、インマヌエル預言がなされます。
イエス様の母マリアに、天使ガブリエルが語るみことばです。
私たちはその背景を黙想することで、インマヌエルをさらに深く理解することができます。
何より、注目したいのは、これです。
誰にインマヌエル預言がなされたのでしょうか?
そらは、信仰がないアハズ王にでした。
当時、どのような政治的状況だったかは、昨日の個所に書いてありました。
アラムと北イスラエルが同盟を結んで、南のユダに攻めてくるという危機が訪れていました。
アハズ王も、エルサレムの人々も、非常に恐れて動揺していたのです。
その時に、イザヤはアハズ王を励ますことばをかけます。
11節「「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」」
しるしを求めよとは、神を試すという意味ではなく、信頼せよという意味でしょう。
敵に攻められて、動揺している中、主なる神に頼りなさいとイザヤは言うのです。
しかし、アハズは、反発します。
12節「しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」」
なんという頑なな王でしょうか?
主を求めなさいと言われて、いいえ、私は求めません。と、答える人も非常に珍しいのではないかと思います。
こんな不信仰であるにもかかわらず、イザヤは神の恵みを預言しました。
しかもそれは、救い主の預言という、最も大きな預言でした。
私たちは、驚かなければなりません。
アハズのような不信仰者にさえ、救い主を語ってくださる主の恵みをです。
主なる神様の御心は、何でしょうか?
信仰深いものにだけ、恵みをそそぎ励ましを与えようとされるのではありません。
むしろ、不信仰者に信仰を与え、不安なものに平安を与えようとされることだと、信じましょう。
その信じる確実なしるしとして、14節インマヌエルが語られます。
ご存じのとおり、インマヌエルは、「主がともにおられる」という言葉です。
この言葉が、「私」と共に主がおられるという意味だけで考えてはいけません。
共におられるの本当の意味は、まさに「神と人」が共におられるということです。
神であり、人であるのです。
インマヌエルは、神性と人性を共に持っている存在だということです。
つまり、イエス様の存在そのものをインマヌエルは表しています。
イエス様は、永遠の昔から、父と共にいらっしゃた人間でありました。
これこそがインマヌエルの本当の姿です。
三位一体の存在そのものがそこにはあります。
だから、主が私と共におられるというのは、普通の意味ではありません。
それは、永遠の昔から、父と子が共におられるのと、同じ意味で、私とも共におられるという事なのです!
なぜ、イエス様の母マリアに、インマヌエル預言がなされたでしょうか?
その答えは、お生まれになるイエス様は、父と永遠の昔から共にいらっしゃた方だと知らせるためでした。
インマヌエルこそ、弟子たちが信じ、私たちも信じている、神であり人であるイエス様の姿であります。
アハズ王は、三位一体神様の姿、その豊かな愛をインマヌエルという預言によって与えられたにもかかわらず、信じませんでした。
歴史的には、彼は主ではなく、アッシリアとの同盟を結んでいくことになります。
そのアハズ王の不信仰を見て、イザヤは17節からアッシリアに関して預言を始めます。
25節までは、主がアッシリアを用いて何をされるかが預言されます。
アハズのより頼もうとするアッシリアは、逆にユダを滅ぼそうとする存在だ、ということです。
その日とは、アッシリアによってエルサレムが包囲されるその日を表しています。
この預言の中でも、アハズ王の心を何とかして、主なる神様に向けようという意図が感じられます。
主なる神様の切り札は、アッシリアでもなく、バビロンでもなく、もちろんローマでもありません。
それは、インマヌエルと呼ばれる神ご自身なのです。
たとえ、私たちが不信仰であったとしても、たとえ世に対して恐れおののいていても、
そんな時にこそ、主は私たちにインマヌエルを語ってくださいます。
今日も、神とともにおられる真の人であるイエス様が、私と共にもおられることを信じて歩むものとなりましょう。
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