おはようございます。
今日はイザヤ21:1-10でした。
21章の今日の個所は、バビロンの滅びについての預言です。
この預言は、イザヤ書13章と14章ですでに書かれていました。
しかし、この21章においては、同じ意図でバビロンの滅亡が預言されているのではありません。
前の預言とは、少し違った視点が加わっています。
〇イザヤの恐れと驚き
それは、3節、4節です。
3節「それゆえ、わたしの腰は激しくもだえ産婦の痛みのような痛みにとらえられた。わたしは驚きのあまり、聞くこともできず恐れのあまり、見ることもできない。」
13章と14章は、割と無感情にイザヤは預言していました。
一方、今日の個所で、イザヤは自分の感情をあらわにしているのです。
バビロンが滅亡されるとなると、イザヤが生きている時より100年以上も先の話です。
その情景を、幻を通して、イザヤははっきり見たわけでした。
その姿は、すさまじいものだったに違いません。
なぜなら、今日の9節の「倒れた倒れた、バビロンが」というセリフは、黙示録にも使われていて、それは最後の裁きを表しているからです。
最後の審判と同じような壮絶な滅びの姿を、イザヤは見て、腰を砕き、痛みを覚え、驚き恐れたのです。
なぜ、イザヤは心から恐れ驚いたのでしょうか?
何よりも、その幻は理解不能だったゆえでした。
人は理解できない事柄にぶつかると、おそれを抱きます。
頭を抱えて、悩み、そこから目を背けようとするのです。
そして、もう一つは、滅びゆくバビロンの姿を見て、イザヤが同情したゆえでした。
罪に対する裁きの恐ろしさへの叫びも、ここには含まれています。
〇この恐れと驚きが教えること
この驚きは、預言者として、主の言葉をあずかるということが、いかに、人間の手に余る行為なのか?ということを、私たちに教えてくれています。
そして、これは私たちに無関係なものではありません。
というのも、私たちクリスチャンは、預言者として、主に使命を与えられているからです。
私の人生には、主が、理解不能であるがゆえの恐れと、罪の裁きに対する恐れが、いつも横たわっています。
主は愛である限り、私たちは証しをしなければなりません。
愛は、止まることができません。
常に動いて働くものだからです。
愛は、私たちをいつも、駆り立てています。
しかし、だからこそ、愛による使命は時に、喜びと同時に、苦しみと恐れを私たちに与えます。
それは、私たちが有限で、罪に汚れた体、霊肉を持っているからです。
イザヤの経験した恐れ・驚きは、まさに彼が人間であったからでした。
これは、非常に重要な視点を私たちに与えてくれます。
つまり、この恐れと驚きこそが、私たちが人間であることを、はっきりと示してくれるのです。
クリスチャンは、神の子であり、天の父なる神様は私たちのアッバ父であり、そして、イエス様は私たちのお兄さんでしょう。
三位一体の神との親密な関係に入ったことを私たちは信じています。
ただ、一方、私たちは人間なのです。
イエス様のように完全なる人間ではなく、罪によって堕落した人間なのです。
いくら神と親密だとしても、神のことを理解したとか、神のことを知っているなどといって、神と同列に自分を扱ってはならないのです。
時にクリスチャンは、自分の中にいらっしゃる聖霊様を、自分の所有だと考えて、それを偶像化してしまいます。
真理はそうではありません。
私たちは、どこまでいっても、人間の地平線から出ることはできないのです。
みことばを与えられたなら、私たちの反応は、どうしても恐れと驚き、苦しみを否定できません。
もし、それを否定してしまったら、大変なことです。
恐れと驚きを否定するなら、私たちが神に近づいた、と勘違いするのと同じだからです。
私たちは、イザヤが感じた恐れ、驚き、痛み、苦しみを、そのまま受け入れなければなりません。
そうすることは、とりもなおさず、私は人間であるということを受け入れることなのです。
私が三位一体の神を握りしめ所有しているのではありません。
逆に、三位一体の神こそが、私を所有しているのだと信じなければなりません。
私が人間を超えられないことがはっきりした時、むしろ、その時にだけ、私は天の父に頼ることを始められるのではないでしょうか?
この人間であるがゆえの恐れ、驚き、不安、悲しみがあるからこそ、もっと祈り、もっと主を信じようとするのではないでしょうか?
今日一日の歩みには、もちろん、感謝、喜びがあふれるでしょう。
しかし、それと同じく、その後ろにある、人間だからこその恐れ、驚きが、心になければいけません。
人としてのマイナスが、私を絶対的なプラスであるイエス様へと向かわせるのです。
人のマイナスは、神のプラスへ向かう強力な信仰の矢印で結ばれているのです。
だから、預言者の人生は、恐れと驚き、悲しみ苦しみと、平安と喜び、感謝と賛美が混ざって、出てくるわけでした。
私たちは、決して恐れや驚きを取り除いてはなりません。
それらを、そのまま受け入れて、だから、もっと祈り、だから、もっと主により頼む私と皆さんとになることを信じます。
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