おはようございます。
今日は、イザヤ25:1-12でした。
25章は、だいたいの人が三つに分けて解説しています。
1-5節が、神の恵みに対する感謝の歌。
6-8節が、死の恐怖より世界を贖われた、神の勝利を祝う祭典。
9-12節が、モアブによって代表される敵から救い出された喜び。
全体は、「その日」に対する預言となっています。
ですから、ここの箇所を、『イザヤの黙示録』と言うそうです。
さて、この預言をしているイザヤはどのような状況だったのでしょう?
当時は、アッシリアの軍隊がエルサレムへ迫っている状態でした。
大国が、小国である南ユダを飲み込もうとしていたのです。
この厳しい現実の中で、イスラエルは、どのような信仰と希望を持つべきなのか、イザヤの口を通して、神が語っておられるということです。
神に対する希望の究極的な形として、8節が書かれます。
8節「死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。」
黙示録19章と全く同じ記述です。
天国(もしくは千年王国)では、死は滅ぼされ、涙がぬぐわれるのです。
そして、9節。
9節「その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。」
神ご自身と、本当に出会ったときの喜び、賛美が預言されています。
イザヤは、アッシリアに滅ぼされるかもしれないという死の恐怖を目前にしていました。
しかし、その死こそが神によって滅ぼされて、喜びへと変わるというビジョンを語りました。
厳しい現実の中で生きる信仰者が、常に持たなければならないない希望は、最後の日に救われる希望、天国で受ける喜びの希望だということです。
ただし、この希望が、未来に対する希望に終わるのであれば、それは他の宗教と同じです。
救い主イエスキリストを信じているということは、全く違う信仰を私たちに与えてくれます。
9節、「見よ、この方こそ私たちの神。」
この呼びかけ先におられる、「この方」とは、誰でしょうか?
イザヤにとって、それは父なる神様でした。
しかし、私たちにとっては、イエス様ではないでしょうか?
そして、イエス様に出会うのはいつなのでしょう?
まさに「今日」です。
つまり、「その日」という終末論的な言葉は、イエス様を信じる私たちにとって、イエス様に出会う「今日」という言葉に置き換えてよいことになります。
だから、9節はこのように、読み替えることができます。
今日、私は言う。見よ、イエス様こそ私たちの神。
イエス様こそ私たちが待ち望んでいた主。
その救いを喜び祝おう。
これは、まさに礼拝での告白であり、賛美です。
使徒パウロが書いたとおり、私たちの生きることこそが、主と出会う礼拝です。
とすれば、私たちは、主と出会う私の人生そのものが、その日と同じだと言えます。
イザヤが書いた、最後の日の希望は、私たちにとっては、今日の希望だということです。
主の恵みとは何でしょうか?
それは天国へ私たちを入れて、死を滅ぼし、涙をぬぐい、喜びを与えてくれることでしょうか?
いいえ、それは違います。
主の恵みとは、今日も主イエスキリストは、私に出会ってくださるということなのです。
今日、私が持つ罪からの死を滅ぼして下さいます。
今日、私の流す涙をぬぐって下さいます。
今日、恐怖の代わりに喜びを与えてくださるのです。
しかも、この救い、この喜びは、全く持って天国の喜びと質が変わりません。
私たちが今日主を喜ぶとすれば、それは、最後の日の喜びであります。
私たちが今日味わう主の恵みは、天国の味を先取りしているのです。
私たちは何を待ち望むのでしょうか?
もちろん、私たちは、イエス様が再び来られ、救いが完成することを待ち望みます。
初代教会の信徒は、マラナタ、主よ早く来てください!と叫びました。
私たちも、マラナタ!と叫びます。
ただ、最後の日だけではありません。
主よ、今日、早く私に来てください!
主よ、今日、早く私に救いを与え、早く涙をぬぐい、早く喜びを与えてください!
私たちは、イエス様が与えてくださった信仰によって、「その日」を「今日」へと引っぱることができます。
もし、今日の一日、私が天国で主に出会うのと同じく、主に出会うならどうでしょう。
天国で喜ぶのと同じく、喜んでいるなら、どうでしょう。
その時、私の中に、天国はあるのです。
信仰者が第一に求めるべき、神の国と神の義が、ここにあるのです。
マラナタ!
私達も力強く叫びましょう。
今日、イエス様が私のところに来て、出会ってくださる時、私を通して、天国が証されることを信じて、期待します。
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