おはようございます。
今日は、詩編50:1-15でした。
〇アサフの詩
50篇はアサフの詩として記されています。
彼は、ダビデの時代の音楽家として有名でした。
詩編73-83篇までは、アサフの詩であって、いずれも教訓的な内容の詩となっています。
この50篇は、全体で十戒の真実な内容がなんであるのか、教えています。
〇主の告発の意味とは?
1~6節までで、主なる神様が天から表され、神と契約を結んだイスラエルを裁判で告発するシーンを歌っています。
ただ、裁判で告発するといっても、裁くための告発ではありませんでした。
7節「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。イスラエルよ、わたしはお前を告発する。わたしは神、わたしはお前の神。」
ここに告発すると訳されているヘブライ語は、様々な訳があります。
この言葉の元々の意味は、父親が子供に対して、愛の表現として戒めるということです。
ですから、裁判所で検察官が読む告発文とは、全く性質が違うということです。
そうではなく、悪いことをした子供に、しつけをする親の姿が見えてくるのです。
父の愛で、イスラエルを導こうとする神の意図が、ここに隠されています。
神の戒めや、神の裁きが、父親としての愛の表現であることを私たちは、まず覚える必要があります。
〇真実な礼拝の方向とは?
そして、7-15節の内容は、礼拝の本質を問いかけています。
14節「告白を神へのいけにえとしてささげいと高き神に満願の献げ物をせよ。」
新共同訳は、あまり原文に忠実な訳ではありません。
新改訳の方が素直だと思われます。
「感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」
特に英語では、感謝をサンクスギビングと訳しています。
つまり、真実ないけにえとは、主が与えてくださったことに対する感謝なのです。
これは、ホセア6:6、アモス5:22、ヨハネ4:24にも書かれており、新旧約聖書を貫く、真理であると言えるでしょう。
様々な、教会の信仰問答、信条が、その後半部を十戒と主の祈りをテーマとしています。
主の戒めを守ることも、祈りをささげることも、主が私たちを、あの悲惨な状態から救い出してくださったことへの感謝だと告白します。
私たちの人生こそが礼拝であると使徒パウロは、ローマ書に書きました。
そして、この礼拝の大前提は、心からの感謝だということです。
サンクスギビングとは、一つの強力な矢印を私たちに示しています。
礼拝、奉仕、賛美、祈りなどを「捧げる」というと、私から神への捧げもののように思いがちです。
しかし、真実は逆です。
これらの捧げる行為は、サンクスギビングが前提なのですから、まずは神から私に向かう矢印が前提なのです。
もちろん、神から私に向かう強力な矢印は、神の愛です。
子供を正しい道へと導こうと、しつけをする父の愛です。
そして、イエス様によって、私たちの目に見えるものとなりました。
この矢印は、今日も、私たちに神の愛の言葉として届くのです。
私たちが、今日、生きる一日を主に捧げる礼拝であることを願うのだとすれば、
今日の一日が、主から私に向かっている愛を前提としなければなりません。
神の言葉であるイエス様が、私に近づいて、私と共にいらっしゃることを、もう一度信じるものとなりましょう。
この主の御業に感謝しながら歩むことを願い期待します。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。