おはようございます。
今日は、詩編60:1-14でした。
ダビデ王は、イスラエルの領土を最大に広げた王でした。
連戦連勝であったような印象を受けますが、負けた戦いもあったようです。
3節から、5節までが、敵に破られて、打ちひしがれている現状が書かれます。
ダビデは主なる神様をよく知っている王でした。
すべての戦いは、主なる神様ご自身が導かれているものであると確信していたでしょう。
しかし、その確信とは逆に、戦争でぼろぼろに負けたのです。
4節に地は揺れ動くと書いてありますが、揺れ動いていたのは、何よりもダビデの心に違いありません。
ダビデの信仰が試されました。
私たちは、常に、主の戦いを戦うものです。
人生が礼拝ならば、それは世に対するチャレンジだからです。
しかし、そのような確信があったとしても、私たちは時に負けます。
負けには、様々な原因が考えられますが、一つだけは確実です。
つまり、その負けは、主なる神様によって許容されたものであるということです。
主は、乗り越えられない試練をお与えになりません。
とすれば、私にやってくる試練は、全て乗り越えられることが前提です。
しかも、すべては、益へと続いています。
試練の後ろには、イエス様へと向かう強い矢印があるのです。
私たちの負けには、イエス様へ向かう道が備わっています。
負けたとき、主への信仰が揺らいだとき、イエス様へ向かう矢印に気が付かなければならないのです。
ダビデは、8節から、このイエス様への道を歩みました。
主が聖所から約束されたみことばをもう一度宣言しました
みことばによって、ダビデの信仰は、新しくされました。
それで、11節~14節の確信に立ちます。
人間ではなく、主が私を導き、主が敵を踏みにじってくださる…という確信です。
14節、神と共にと訳されている言葉は、ニュアンスが伝わらない訳です。
日本語では、神にあって、神のもとに、神のうちにあって…
のように様々な訳がついています。
やはり英語が、一番わかりやすいでしょう。
「in Christ」です。
私たちが、敵に勝利するのは、キリストの中にいる時だけです。
この信仰告白を、私たちは、今日も私の口からすることができるように願いましょう。
主は、私の現場へと今日もやってきてくださいます。
だから、確認することは、ただ一つです。
神の愛であるイエス様の中に、私はいるのか?
たとえ負けても、たとえ叫びたい苦しみにあっても、
イエス様はご自分へ続く道を準備され、導かれていると私たちは確信しましょう。
そして、今日も、神の愛の中心で、大胆に神の愛を叫ぶものとなることを信じます。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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