おはようございます。
今日は、ナホム3:1-11でした。
ナホム書の内容は、ずっとニネベの滅びに関するものです。
しかし、ナホムという名前自体から見える、ナホム書の本当の意味があります。
ナホムとは、慰めという意味のヘブライ語からきています。
つまり、慰めであるナホムが、厳しい裁きの預言を語っていることになります。
いったい、このニネベの滅びがどのような慰めなのでしょうか?
今日の本文3章は、「災いだ」から始まります。
この「災いだ」は、「幸いなるかな」の反対の言葉として使われています。
とすれば、ニネベの滅びとは、「幸いなるかな」という人生の反対を言っていることになるということです。
3章において、考えると気持ち悪いくらいに、ニネベは酷い姿で滅ぼされることが預言されています。
その結論は、これです。
7節「お前を慰める者はどこを探してもいない。」
ニネベは、孤独に主の裁きを受けなければならなかったのです。
8節~11節に様々な国の名前が出てきますが、
全て、強国として知られている者たちです。
しかし、主を信じないこれらの国は、全て跡形もなく滅ぼされてしまいました。
例外なく、主を信じないものは、孤独に、誰も慰めることなく、滅んでいったことをナホムは預言しているのです。
これが災いだとすれば、逆に言って幸いとは何でしょうか?
つまり、裁かれる時であっても、そばにいてくれる存在がいるということです。
これこそが、神を知るものと、神を知らない者の決定的な差です。
そして、私たちに対するナホム(慰め)は、裁きの時でさえ側にいてくれる存在がいるということなのです。
ハイデルベルグ信仰問答1問が、ピッタリ当てはまります。
生きるにも死ぬにも私たちの慰めは何ですか?
その答えは、生きるにも死ぬにも私たちは主イエスキリストの所有であることでした。
私が死ぬときでさえ、イエス様は私を離されないということです。
私たちがたとえ、罪を犯して、主によって裁きを受けるとしても、私たちはイエス様の所有であることに変わりはありません。
これ以上の慰めは、もう無いのです。
私たちは今日も、どんなときも私の側におられ、私の慰めであるイエス様を信頼し、喜んで歩むものとなりましょう。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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