おはようございます。
今日は、雅歌6:2-10でした。
雅歌では、愛の告白が、繰り返し繰り返しなされます。
3節の告白は、2:16と同じ繰り返しです。
この告白こそ、神の愛を表しているといえます。
愛し、そして、愛される。
互いに愛しているという関係は、まさに三位一体の神、父・子・聖霊の関係そのものです。
しかし、私たち罪人が、この告白をするならば、次のように変更してしまうでしょう。
「恋しいあの人は、私のもの そして、私自身も、私のもの」
ドラえもんに出てくるジャイアンと同じです。
私は、自分を愛してくれる主なる神を、私のものとしました。
一方で、主なる神に委ねるべき自分という存在さえも、自分の所有であると宣言するのです。
こうなってしまっては、私と神との関係は、三位一体の愛の関係を表せません。
主から頂いたものを、あたかも自分のものであるように、私たちはしがちです。
愛だけではありません。
福音であり、礼拝であり、奉仕であり、信仰であり、同じです。
もし、神から頂いた信仰が、私のものであると勘違いするなら、その信仰は、もはや信仰とは言えないでしょう。
神から与えられたのであれば、それを神に返すことこそが、私たちに求められている愛なのです。
私たちは、神に愛されたのですから、その愛によって、神を愛することができるはずです。
神ご自身が私のために、生きて死んでくださったのだとすれば、私たちも神のために、生きて死んでいくことができるはずです。
神に愛されたゆえに、神を愛する。
神にいただいた愛で、主を愛することを願うものとなりましょう。
さらに、4節からは、花婿からの告白です。
注目したいのは、4節と10節で2度繰り返されるこの言葉です。
「旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。」
花嫁の姿が、花婿にとって、軍勢のように恐ろしいとは、どういうことでしょう。
英語の訳を見ると、awesome(偉大なる)と訳したり、majestic(壮大である)と訳したりもしています。
つまり、恐怖の恐ろしいという意味ではありません。
花嫁の美しさは、スケールが大きくて、偉大だという意味でした。
この花嫁の姿は、そのままイエス様から見た教会である私たちの姿と同じです。
イエス様は、私たちをご覧になる時、壮大で、偉大だとおっしゃるのです。
私たちは、この真実を忘れてはなりません。
かのシンデレラは、王様に愛されるようになりました。
しかし、魔法が解け、普段の生活に戻ると、王様のことは忘れたかのように過ごしました。
一方、王様は、シンデレラのことを忘れることはありませんでした。
ずっと追い求め、探し求めていたのです。
私たちは、このようなシンデレラであってはならない、ということです。
王を忘れ、普段通りに、生活を歩んではなりません。
王の王である主は、私たちを見て、偉大だ、美しいとおっしゃる方です。
私たちを求め、私たちのために働きたいと思っていらっしゃる方なのです。
ですから、私たちは、大胆に、胸を張っていいのです。
神の愛を受けた者として、壮大に、偉大に、神の前で生きなければなりません。
今日も、私たちが信じるなら、まさに majestic な人生を歩むでしょう。
私の一日は、awesome となるでしょう。
そのような一日を期待します。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。