おはようございます。
今日は、ヨナ3:1-10でした。
1節「主の言葉が再びヨナに臨んだ。」
この「再び」は、恵みに溢れる言葉ではないでしょうか?
1章で主はヨナに主の言葉を与えました。
しかし、ヨナはそれを受け取ることを拒否しました。
ヨナは、預言を諦めたのです。
しかし、主なる神様は、ヨナを諦めませんでした。
戻ってきたヨナに、何事もなかったかのように、同じ主の言葉を再び与えて下さったのです。
私達は、いつも信じて、感じ取らなければなりません。
私達が主を求め、主の御業を求めている遥かに強く、主は私をお求めになり、私に主の御業に参加させたいと思っておられるのです。
たとえ、私たちが、主の言葉を信じられず、理解できなかったとしても。
たとえ、私たちの罪によって、主が見えず、主から逃げたとしても。
主は、「再び」私に出会って下さいます。
イエス様が7の70倍赦しなさいとおっしゃったのは、私達が既に7の70倍赦されることを意味しています。
主の「再び」が7の70倍続いたとしても、主は私を諦めません。
ここに私たちの平安があります。
だからこそ、私たちはこの不信仰と罪しかないこの地上において、神の平安をいつも体験しながら歩むことが可能となるのです。
「再び」出会って下さる主を信じ、今日も、主に期待して歩む者となることを願います。
ニネベに預言された言葉は、4節です。
「あと40日もすれば、ニネベの都は滅びる。」
この「滅びる」という単語は、引っくり返す、覆すという意味があります。
さらに、「向きを変える」という意味でもあります。
ニネベは、神の言葉を聞いて、悔い改めて、主の滅びから免れるますが、これは主の預言が外れた訳ではありません。
そうではなく、預言は「ぴったり」当たったのです。
ニネベは、主の言葉を受け取り、信じてひっくり返ったからです。
ニネベは暴虐の道から、主の道へと「向きを変えた」のです。
もちろん、ニネベの人たちは、人間的な計算によって、主を求めたかもしれません。
異邦的な、御利益主義が働いたように見ることもできます。
しかし、客観的に行われたことは、次のことです。
ニネベはひっくり返った。
向きを変えるとおっしゃった主の言葉が、その通り実現した、ということです。
これは驚くべきことです。
いかに人間が計算したとしても、最後に成しとげられるのは、主の言葉だからです。
10節に、神が、ニネベの努力を見て、思い直したと書いてありますが、勘違いしてはなりません。
ニネベの努力が神の心を動かしたわけではありません。
逆に、神の心がニネベの人たちを動かしたのです。
私たちは、主の御業に何か加えることも、逆に減らす事さえもできません。
主は、主御自身のご自由を用いて、働かれるのです。
だからこそ、主の御業の中で私たちのなすべきこと、残されたやるべき事は、ただ一つとなります。
主の働きに「アーメン」と答えることです。
その通りです、と告白し、そこへ参加させていただくことこそ、主を信じる者の唯一の道です。
今日、「再び」出会って下さる主に、私たちは「アーメン、主よその通りです」と信仰告白して、主の御業に参加する私と皆さんとになることを信じます。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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