3月29日早天メッセージ

投稿者: | 2018年3月29日

おはようございます。
今日は、マタイ26:36-46です。

イエス様のゲッセマネの祈りです。
時刻は、木曜の夜中です。
この祈りが、イエス様の最高潮であることに疑いはありません。

まず、なぜ、ゲッセマネであったのか?というところから考えましょう。

オリーブ山に何があったかと言えば、その名の通りオリーブの木です。

ゲッセマネという名前は、油を搾りとる機械である「ガト」と、オリーブ油の「シェマ―ニーム」の合成語です。

つまり、ゲッセマネは、オリーブを収穫してそこから油をとる場所でした。

オリーブを絞る作業は、通常11月に行われていたようです。

4段階に分けて搾り取られます。

最初出てきたオリーブ油は、祭司が使う油です。

2番目に出てきたものは、食用として使います。

3番目は、化粧品や火をともす油として。

そして、最後に取られる油で石鹸を作ったそうです。

最後出る残りかすは、ゴミではなくそのまま燃料として再利用されました。

ゲッセマネで、3度イエス様は祈られますが、最後に血が滴るように出てきます。
それは、まさに、オリーブをカスになるまで絞って出てくるオリーブ油を連想させたのです。

このことが、祈りとはどのようなものか?を表しています。
最後まで搾り出すような祈りこそが、私たちの祈りとならなければなりません。

さて、ゲッセマネで祈るイエス様に、焦点を当てましょう。

イエス様は、ためらいの祈りをされています。

39節「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」

この祈りは、私たちに衝撃を与えます。

というのは、神ご自身でありながらも、イエス様にとって、十字架の苦しみを受けることは当然のことではなかったからです。

十字架で苦しんで、死ぬことを通して、罪人の贖いを成し遂げるという行為を、イエス様は自分で選ばなければならなかったのです。

しかも、非常に困難な選択でした。

神の計画は、イエス様が死ぬことを通して、神の意思である贖いを成し遂げる。

しかし、死とは、サタンがアダムを騙して、陥れた状態でした。

サタンが喜ぶ「死」が、いま、父なる神様の喜ぶ「死」となろうとしていたのです。

なんという矛盾でしょうか?
なんという謎でしょうか?

この謎を目の前に、イエス様はためらい、悩まれたのです。

 
私たちは、ここに、父なる神様の永遠なる御心に対して、人間が歴史の中でどのように対応するべきなのか?ということのモデルを見ることができます。

イエス様は、ご自分のためらいを搾り取るように主の前に注ぎだしました。

このとき、イエス様には、誰一人共に祈る同労者はいませんでした。

しかも、驚くべきことは何でしょうか?

ゲッセマネの祈りに対する神の明確な応えが無かったことです。
ただ、沈黙のみが、ゲッセマネの祈りに対する応えでした。

このような状況の中で、イエス様は、父のご計画を、畏れ敬いつつ、自分のものとして選択をしたのです。

「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

この瞬間、永遠なる神の見えない計画は、歴史の中に、目に見える形で確定しました。

「信仰」という言葉をイエス様ご自身に使うことが、正しいかどうかわかりません。
(私は「イエス様の信仰」を考えていいと思いますが、一般的には受け入れられないでしょう)

このイエス様の父なる神様に対する、ある意味での信仰が、この選択へイエス様を導きました。

私たちの父なる神様の御心に対する対応は、どうでしょうか?

私たちにとって、神の御心は矛盾であり、謎でしかありません。

しかも、どんなに一生懸命、神に語りかけ、たとえ血がにじむように祈っても、神は沈黙を通されることだってあります。

にもかからわず、主が主であるゆえに、その謎である神の計画を受け入れ、私の人生とする選択をすべきなのです。

それこそが、イエス様のゲッセマネの祈りのメッセージだからです。

そして、そのためのヒントはイエス様ご自身が与えて下さっています。

41節「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」

「目を覚まして」、このギリシア語は、「起き上がる」という単語から出来ています。

そして、「起き上がる」というギリシア語がどこに使われるかと言えば、イエス様が復活するときの「Rise」こそが、「起き上がる」なのです。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。