おはようございます。
今日は、イザヤ54:1-10でした。
イザヤ書54章は、52章まで続いていた主の慰めのメッセージが、再開する場所です。
(僕の歌が挿入されていたのです)
主なる神様のイスラエルに対する大きな慰めがここでは語られます。
1節から、不妊の女、子を産まなかった女、生みの苦しみをしたことの無い女、夫に捨てられた女と表現されているものは全て同じものを示していると考えられます。
ヘブライ語で、町、都市を意味する単語は、女性名詞ですから、女とは、エルサレムを表している言葉です。
ですから、不妊の女などなどと表現されているのは、破壊されて滅亡したエルサレムのことです。
1節の約束は、破壊されて滅亡したかに見えたエルサレムが、また回復し、その人口は以前のエルサレムより増えているという預言です。
その日、喜び歌え、歓声をあげよ、叫べと命令しています。
全ての労苦が無くなり、涙がぬぐわれる、その日、私たちの想像をはるかに超える慰めがそこにはあるということです。
このことは、不完全には捕囚から解放されたエルサレムに起こりました。
ただ、回復したエルサレムはAD70年に再び破壊されて、現在に至るまで回復していません。
究極的には、千年王国における世界の中心であるエルサレムが、イザヤの預言の実現です。
で、とっても重要なのは、この回復がなされる根拠についてです。
8節「ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したがとこしえの慈しみをもってあなたを憐れむとあなたを贖う主は言われる。」
10節「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らずわたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあなたを憐れむ主は言われる。」
新共同訳では、慈しみと訳されている言葉は、ヘブライ語でいう神の愛を表す言葉ヘセドが用いられています。
契約によって確実に結ばれた愛を意味するのがヘセドです。
新改訳聖書では「変わらぬ愛」という訳がついています。
英語でも、不変の愛、確実ない、尽きることの無い愛などと訳される、非常に恵みに満ちた言葉です。
慈しみという言葉より、愛を使った方が私たちにはグッとくると思います。
イザヤは、もう一度、愛が確実であることを証しするために、主の愛によって、エルサレムが回復されることを預言します。
変わらぬ主の愛が、私たちを贖い、私たちを救うと、なんどもなんども、繰り返してイザヤが預言します。
それは、私たちが、なんどもなんども、その真理を忘れるからに違いありません。
信仰は、私たちのものではないからこそ、確実なものです。
しかし、私たちのものではないからこそ、不安定なものであることも真実です。
信仰は、その都度、私たちは主なる神様から頂かなければならないのです。
それゆえに、私たちは、なんどもなんども、天地創造前からの私に対する愛が、今日も私を贖い、生かし、恵みに満たしてくださると、主が言い聞かせてくださる、そのみことばを期待しましょう。
私たちが、もし忘れても、その真理は変わりません。
信仰によって、主の慰めを喜び祝い、歓声を上げるくらいの、喜びが私たちにあふれる一日となることを信じます。
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