5月11日早天メッセージ

投稿者: | 2018年5月11日

おはようございます。
今日は、イザヤ60:10-22でした。

イザヤ書60章は、非常に有名な1節「起きよ、光を放て。」から始まります。

この起きよ、光を放てと言われている対象が誰か?というのが大切です。

このふたつの命令形は、女性単数が主語となるように書かれています。

つまり、起きて光を放つのは、イスラエルの民ではありません。
女性単数を表すのは、神の都エルサレムであり、聖なる都シオンなのです。

ですから、60章の内容は、ヨハネの黙示録でいうところの千年王国、もしくは、新天新地における都シオンに対する預言です。

特に19節からの預言は、新天新地、つまり、天国がどのようなところであるか、はっきりと私たちに見せてくれています。

19節「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となりあなたの神があなたの輝きとなられる。」

1節で、起きよ、光を放てと、エルサレムに向かって主がおっしゃったのですが、

実に、その光は、主ご自身だったのです。

天国を学ぶことがなぜ私たちにとって大切なのか?
それは、天国のビジョンは、信仰によって私たちに引き寄せられるからです。

天国では、主ご自身が真ん中にいて、その光によって輝いています。
この天国と同じ状態で、主ご自身が私の真ん中にいて、その光によって私も輝くのです。

天国の輝きと、私の中の輝きと同じ強さ、おなじ輝きであることが、驚くべきことです。

「その日全世界が」の賛美を作った同じグループが「土の器」という賛美も作っています。

その歌詞が非常に素晴らしいものです。

『土の器 欠けだらけの私 その欠けから あなたの光が こぼれ輝く』

私たちが、穴だらけの汚らしい土の器だからこそ、その穴から、私たちの中にいらっしゃる主の光が漏れ出ることができるのです。

もし、私たちが穴のない綺麗な器だったら、主の輝きは無意味なものとなるのです。

しかも、20節にある通り、これは永遠の光です。

私の霊性が、暗くなろうと、たとえ信仰の情熱が消えてしまおうとも、
主イエスの光は、永遠に同じ輝きです。

これ以上の慰めがどこにあるのでしょうか?

私たちは、弱く倒れ、常に許されなければならないほどの罪人です。
が、しかし、だからこそ、そこに主の永遠なる光は輝き、継続して証しされるのです。

22節を読んでみましょう。

「最も小さいものも千人となり最も弱いものも強大な国となる。主なるわたしは、時が来れば速やかに行う。」

天国では、主の栄光によって、どのような小さいものも、光り輝きます。

同じ姿が、いまを生きる私に起こることを、私たちは信じましょう。

しかも、主の御業は、遅れることがありません。
人間の時間の感覚では、遅いと感じる時もあるのですが、歴史はベストなタイミングでしか進みません。

マラナタ、主よ早く来てください!

このように、叫ぶのは、もちろん、再臨の主が早く来てくれるように願う意味もあります。

しかし、同時に、今日、私の現場に早く来てください!と求める意味も、そこには含まれていいのです。

速やかに御業を起こしてくださる主に、
早く来てください!と願い、
天国と同じ主の光が、私の土の器から永遠に漏れ出ることを期待します。

――――――――――――――――――

東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。