おはようございます。
今日は、イザヤ65:1-16でした。
イザヤ書65章と66章においては、まさに新天新地、つまり天国でのビジョンが語られていく場所です。
前半部は、異邦人とユダヤ人の救いの預言が、後半部には、永遠の救いと永遠の裁きがはっきりと分かれるというビジョンが語られます。
今日は、特に前半部を注目しましょう。
1節に出てくる、
「私に尋ねようとしない者」
「私を求めようとしない者」
「私の名を呼ばない民」
この3つのたとえは、すべて誰のたとえでしょうか?
これは全て異邦人のことです。
その異邦人が、主に尋ねだされるものとなり、主に見出されるものとなり、主がここにいると告げてくださったのです。
つまり、これは異邦人に救いが臨むことを大胆に預言している場所です。
この預言は、イエス様から始まった終末に、私たち自身に実現しています。
1節の生きた証人こそ、私たちなのです。
そして、2節「反逆の民」「思いのままに良くない道を歩く民」というのがイスラエルです。
イスラエルは、自分たちが主に選ばれた民であることを高慢に誇ってしまい、5節のような言葉を異邦人にかけておりました。
しかし、6-7節では、高慢の罪に対する報いがあることが書かれています。
イザヤがこれを預言しているとき、主のこの預言がどのように成し遂げられるか想像もつかなかったでしょう。
実にそれは、イエス様の復活後、ペンテコステの後、異邦人が悔い改め、クリスチャンとなるまで、隠されていました。
異邦人たちが、イエス・キリストを受け入れ、ユダヤ人は受け入れなかったからです。
それを見た使徒パウロは、異邦人教会であるローマ教会に向けて、異邦人とユダヤ人の救いのビジョンを9-11章で詳しく述べています。
ローマ11:11「では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。」
ユダヤ人が救いを拒否し、異邦人へと救いがもたらされたが、それが再びユダヤ人へ戻り、主の約束が実現するときがくると、使徒パウロは強調しています。
その結論は、次の25―26節前半です。
ローマ11:25―26節
「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、(26)こうして全イスラエルが救われるということです。」
これは、異邦人の次にユダヤ人が救われるという順番の問題ではありません。
使徒パウロの最後の言葉は、こうです。
「異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。」
つまり、異邦人全体が救われた時に、全イスラエルの救いが完成すると言っています。
ですから、異邦人全体と、全イスラエルが、同時に救いへ達するというのが、主のご計画なのです。
ですから、私たちはまさに異邦人全体へと宣教し、イスラエル全体にも宣教しなければなりません。
今日の本文、16節を読みましょう。
「この地で祝福される人は真実の神によって祝福されこの地で誓う人は真実の神によって誓う。初めからの苦しみは忘れられる。わたしの目から隠されるからである。」
私たちは、この地で祝福を受けました。
でなければ、極東の端にいる異邦人である私たちが、主を信じることはあり得ません。
これは真実なる神によって祝福を受けた証です。
私たちは、この地で誓いました。
イエスキリストを信じるということは、まさに天国で結婚することを誓っているからです。
これは、真実の神による誓いです。
私たちは、このように、この世での真実な神の働きを、確実に信じることができます。
主は、裏切る方ではなく、一度与えた約束を無駄にする方ではありません。
今日も、私たちに与えられた祝福、誓い、その大きなめぐみを抱いて、
異邦人の元へ、イスラエルの元へ遣わされる、私と皆さんとになることを信じ期待します。
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