おはようございます。
今日は、使徒言行録4:23-37でした。
使徒言行録4章は、はじめて教会が迫害を受けるシーンです。
信者たちの群れである教会は、外からプレッシャーを受けました。
次の5章の初めに、今度は内側からプレッシャーを受ける事件が起きます。
興味深いことは、そのたびごとに、教会の様子をルカが記録していることです。
教会は祈り、分かちあい、たくさんの奇跡を起こしたと書いてあります。
全ての共同体がそうであるように、教会も外部におけるリスク、内部におけるリスクを持っています。
ただ、教会において、これらリスクを乗り越える方法論は、ユニークでした。
それは、祈りです。
実は、それは私たちにとって当たり前になりすぎていることかもしれません。
しかし、決して当たり前にしてはならないことです。
生きているクリスチャンである限り、私たちは祈りを怠ることは出来ないことを、もう一度思い出さなければなりません。
そして、この祈りの原動力は何だったのでしょうか?
実に新共同訳では見えないのですが、33節後半部です。
33節「皆、人々から非常に好意を持たれていた。」
この箇所は、新改訳だと、「大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」と訳されています。
原文を見ると、「カリス メガレ」です。
メガレとは、メガの語源で、パソコンのメガバイトのメガです。
最近では、メガ盛りとか、メガマックといった日本語があります。
ですから、「カリス メガレ」は、現代風に言うと『メガ恵み』です。
ちなみに、33節の新共同訳「大いなる力」(新改訳「非常に力強く」)は、「デュナメイ メガレ」となっています。
デュナミスとは、聖霊様の働きのことですから、これも現代風に言えば、『メガ聖霊』とでもいうのでしょう。
初代教会の信徒たちが、大胆に祈り、その生活が人間の考えを、はるかに超えていたのはなぜか?
それは、彼らに『メガ聖霊』と『メガ恵み』があったからです。
このことは、すべての教会に連綿と受け継がれているものであると信じましょう。
私たちも、同じ『メガ聖霊』と『メガ恵み』を受けています。
だからこその、生きた祈りが私たちから出てくるのです。
そして、今日の本文の祈りは、そのまま私たちにとってお手本です。
29節と30節に2つの祈りがあります。
29節「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」
初代教会は、受けている迫害を避けようとせず、真正面から受け止めようと祈りました。
私たちは、リスクがあると避けて通ろうとする弱さがあります。
しかし、その弱さをはねのけようと大胆に祈ったのです。
30節「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」
初代教会は、書いてあるだけでも無数の癒しとしるしが起きます。
ユダヤ人の世界では、病気は罪から来るものだと信じられていました。
ですから、病が癒されるということは、即イエスキリストの贖いに直接つながるのです。
つまり、この祈りは、福音の宣教に対して、後押しするような御業が教会に起こるようにという祈りです。
29節を見ながら、今日私に降ってくる、リスクはどのようなものでしょうか?
それを何とも思わない大胆さが与えられるように、切に祈るものとなりましょう。
そして、30節を見ながら、福音を伝えるのに、道を開くような御業は、どのようなものがあるでしょうか?
もちろん、病の癒しや仕事の成功もあるでしょう。
しかし、現代では、平安な心、喜びの交わり、真実な仕事っぷりなどの、非常に小さなことこそが、福音宣教の道をひらいたりします。
私の全ての行動や言葉を通して、主が働いてくださり、福音を伝える道がひらくように祈りましょう。
『メガ聖霊』、『メガ恵み』と共に、生きた祈りを携えて、今日も歩む私と皆さんとになりましょう。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。