おはようございます。
今日は、使徒言行録9:10-22でした。
使徒パウロが回心するのが9章です。
この劇的な回心にも、救いと福音の宣教に共通することをみることができます。
昨日の箇所ですが、使徒パウロは主の光によって照らされたとき、倒れて目が見えなくなりました。
この光こそは、主御自身でした。
創世記で「光あれ。」とおっしゃった主の御言葉が、この瞬間も働いていたことが分かります。
この光は、私たちの心も照らす光です。
主なる神様を私たちに知らしめる啓示の光でした。
クリスチャンで、主の光によって倒れなかった人はいません。
今までの考え、信心、思想、その他全ての地上的なものは倒されました。
その時、ただ、主のみが輝く瞬間が来たのです。
私たちの救いが、主からしか来ないことを、このシーンは強く語っています。
そして、今日の箇所のアナニア、使徒言行録で最も素晴らしい従順な人は、このアナニアかもしれません。
最高法院の前でメッセージしたペテロより、ユダヤ人から大きな迫害を受けたパウロより、その姿は謙遜で偉大です。
アナニアは、最も行きたくない、最も危険な人に遣わされているからです。
どう考えても、福音を信じなさそうな人が、サウロです。
あの迫害者に福音を伝え、按手祈りを捧げなさいという、恐ろしい命令がアナニアに下されたのです。
今で言えば、北朝鮮の金ジョンウンさんの場所に行って、按手祈りをしなさいというくらい、危ない命令でした。
アナニアは、一度だけ、主に文句を言います。
しかし、主は15節に書いてある通り、「行きなさい。あの人は、私の選んだ器である。」とおっしゃいました。
17節で「そこで」とありますから、アナニアはこの御言葉だけで納得し、従順しています。
なんと、素晴らしいアナニアの従順でしょうか?
人間的な考えを乗り越えて、ただ、主の命令だけを、忠実に守っているのです。
盲目的に、私たちの考えを停止して、主に従う事は、主が喜ばれる従順ではありません。
私たちは、主の計画を考え、主の命令を思い悩む必要があります。
しかし、その悩み、不安に比べれば、取るに足らない、大いなる恵みが私たちにはある、と信じなければなりません。
この恵みだけが、私たち信仰の一歩を踏み出させる、原動力だと信じましょう。
誰かが、救われるためには、アナニアのような主の命令に従順した人の働きが必要です。
私たち自身の救いが、たくさんのクリスチャンに支えられていました。
今日、主に捧げる従順が、誰かの救いをサポートすることを、期待します。
そして、サウロは、救われたその瞬間、主を証しするものと作り変えられました。
救われてすぐ主を証しすることも、サウロに特別なことではありません。
確かに、サウロほど大胆に語り始めるのは、少数派でしょう。
しかし、私たちは、クリスチャンとなった瞬間、聖霊様で生まれたものです。
ですから、その時、既に、世に対する神様の証人となりした。
18節に「そこで身を起こして洗礼を受け」と書いてあります。
ルカの好きな言葉、「立ち上がって」がここに書かれています。
イエス様が死からよみがえられるときに、用いられた単語です。
サウロは、按手祈りによって、目が開かれて、立ち上がりました。
この時に働いていたのは、まさに復活のイエス様なのです。
復活の主御自身こそが、サウロを、証人と作り変えました。
この同じ復活の主は、今日も私に働いていらっしゃることを信じて感謝しましょう。
力強い主の光が私たちに注がれ、主の恵みによって立ち上がる一日。
遣わされる場所で、主の証人となり、救いの御業のサポーターとなる一日を期待します。
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