おはようございます。
今日は、使徒11:19-30でした。
使徒言行録10章で、異邦人に対する宣教の扉が開きました。
そして、この11章ではついに、アンティオケ教会が建てられます。
本格的な宣教のムーブメントが始まるのです。
迫害によってエルサレムを追い出されたクリスチャンは、ギリシア語を話すユダヤ人だけでした。
ヘブライ語を話すユダヤ人は、迫害されずにエルサレムに残っていたことになります。
ペテロやヨハネのような弟子たちは、まだエルサレムにいたのです。
一方、ギリシア語を話すユダヤ人が集まってできた教会が、アンティオケ教会でした。
しかも、20節にある通り、ギリシア人にギリシア語で宣教を始めたのです。
ペテロによって開かれた扉から、次々と救われる異邦人が現れることになりました。
そして、そこに遣わされたのが、バルナバでした。
バルナバはエルサレム教会の弟子たちが持つ権威を持って、アンティオケ教会を牧会するために遣わされました。
そこで、話したことが23節に出てきます。
「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。」
彼のメッセージは、『堅い決意をもって主から離れることのないように』でした。
非常に興味深いのは、25節になると、バルナバはサウロを捜しにいきます。
何年も表舞台から姿を消していたサウロを呼び出しました。
この意図は明確でした。
つまり、『固い決意をもって主から離れることのないように』という勧めを守るために、アンティオケ教会に必要だったのが、サウロなのです。
彼は、ヘブライ語も、そして、ギリシア語も堪能でした。
そしてなにより、彼はファリサイ派であったので、旧約聖書に精通していた神学者でした。
バルナバが、サウロを呼んだのは、この聖書に関する知識、その神学をアンティオケ教会へと訓練するためだったのです。
アンティオケ教会に必要だったのは、まさに御言葉を学ぶこと、御言葉にしっかりと立つことだったからです。
彼らは、異邦人教会であったために、旧約聖書の知識がありません。
もし、何もしなければ、御言葉から離れ普通の生活に戻ってしまうのは、目に見えて明らかだったのです。
それを止めるために、アンティオケ教会には、聖書の学びが必要でした。
この聖書の学びによって、「神のことば」に留まった信仰者こそ、キリスト者(キリストに狂ったもの)という名前が付いたわけです。
もちろん、教会は「神のことば」の学びだけがその使命ではありません。
様々な奉仕、社会に手を差し伸べること、コミュニティとして仲間を増やすこと、様々な働きが必要です。
しかし、全てにおいて「神のみことば」なしに、つまり、イエスキリストにしっかり留まることなしに、働きは成り立ちません。
『神のみことば』に立つために、イエスキリストから離れないようすることが、土台にならなければ、それは砂の上に家を建てているのです。
アンティオケ教会は、聖書の学びを通して、神のことばを聞こうとしました。
それは、基礎にあるべきことです。
しかし、神のことばが語られるのは、なにも聖書の学び、礼拝、賛美、日々の黙想、祈りだけではありません。
仕事、友人関係、家庭、政治、スポーツ、科学・・・あらゆる場所に『神のことば』は語られます。
神のことばによって、世界は作られているのですから、当たり前のことです。
だから、私たちは片手に聖書、片手に新聞を持つのです。
神のことばを聞き逃さないためにも、偽物の神のことばを聞かないためにも、
私たちは、目を覚ましてしっかり立ち、イエスキリストに留まる必要があるのです。
今日も一日、私たちが求めるのは、イエスキリストに留まることだけです。
それこそが、クリスチャンだからです。
なにより、『クリスチャン』として生きることを、祈り求めるものとなりましょう。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。