7月18日早天メッセージ

投稿者: | 2018年7月18日

おはようございます。
今日は、使徒17:16-23でした。

今日の個所はアテネ説教として、とても有名な個所です。

世界宣教の中で、非常に重要なポイントです。
使徒パウロが初めて異邦人だけに福音を伝えたということでした。

今までは、必ずユダヤ人の会堂へ行って、イエスキリストを伝えていました。

もちろん、会堂に集まっていた人たちの中には異邦人もいました。
しかし、彼らはユダヤ教に改宗していた異邦人か、少なくとも旧約聖書に興味がある人たちだったのです。

旧約聖書に関して全く無知である異邦人、しかも、哲学の町アテネにいるギリシア人だけに伝えたのは、これが最初だったのです。

このパウロのアテネ説教に関しては様々な評価がなされています。

聖書のバックグラウンドが無い人たちへ、メッセージを変化させたことを評価する人がいます。
いわゆる、文脈化をプラスと考えるわけです。

一方では、初めにイエスキリストのことを話さなかったために、福音が中途半端であったことを指摘する人もいます。
哲学から福音へアプローチしことで、中心的内容へ行くことができなかったことをマイナスと考えるわけです。

評価するかしないか、これはその人の信仰的な立場によるので、断言することは出来ません。

実に、聖書がこの説教の評価を下していないということが、ひとつの答えです。
私たちに、この宣教をどうこう言う権利はないのです

むしろ、私たちが学ばなければならないのは、使徒パウロの福音宣教に対する態度でしょう。

使徒パウロを動かしていたのは、1節に書いてある通り「憤慨」でした。

神という存在を認めてはいるものの、本物の神であるイエスキリストを知らない人たちに対する憤りです。

後ろで働く悪霊に対する憤り、人間の罪に対する憤り、様々な憤慨が使徒パウロを包みました。

この憤りは、感情的なものではありません。

もし、この憤慨が、怒りに近かったら、使徒パウロのアテネ人への柔和なアプローチと論理的なメッセージは出てこなかったでしょう。

使徒パウロは非常に冷静でした。

この憤りは、まさに人間から出たものではありません。
神の慈しみ、憐みから出てきたものでした。
まさに、聖霊様の働きでした。

なんとかして、アテネの人たちに本当の神を知ってもらいたい。
この心が、使徒パウロを動かしました。

この熱情が、アテネ人に通じて、アレオパゴスという議会の真ん中でメッセージするチャンスを得ました。

この熱情が、アテネ人を尊敬しているという話から初めて、本当の神について話していくという工夫に繋がりました。

もちろん、このメッセージは表面的に見れば、失敗でした。

明日の個所にありますが、信じた人は非常に少なかったのです。
しかし、これをもって失敗と私たちは全く評価することは出来ません。

後のヨーロッパの歴史、キリスト教の2000年の歴史を見れば明らかです。

このギリシア哲学がキリスト教に与えた影響は莫大なものだからです。

ストア哲学はキリスト教の神学を語るうえで重要な、学問となりました。
これがなかったら、神学は発展出来なかったでしょう。

もし、使徒パウロがアテネでの宣教をあきらめてしまっていたら、
もし、ギリシアの哲学者たちに対するチャレンジを止めていたら、

恐ろしいかな、今日のキリスト教は無いでしょう。

もちろん、今のギリシアの国旗には、十字架があります。

使徒パウロが情熱をもってまいた、ほんの小さな福音の種が、大きな実を結び、現代のクリスチャンを支えているのです。

まさに、本物の神であるイエスキリストを伝えたい!という情熱こそが、私たちに必要なものです。

その愛に駆り立てられて、様々な工夫、様々な行動が、今日も私たちに与えられることを切に求めましょう。

今日、実りは見えないかもしれません。
しかし、神の情熱によって動かされた私の働きは、必ず大きな実りを結ぶのです。

伝道書11:1「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。」

今日も私の持っているパン、イエス様から頂いたパンを水に浮かべるものとなりましょう。

数年後、何十年後、もしかすれば何百年後、それが実りとして刈り取られていることを期待します。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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