8月9日早天メッセージ

投稿者: | 2018年8月9日

おはようございます。
今日は、使徒言行録24:24-25:5でした。

使徒パウロは、続けて軟禁状態にあります。
この軟禁が続いたのは、総督フェリクスの悪い戦略でした。

フェリクスは、何よりもユダヤ人に媚を売るために、パウロを閉じ込めていました。
さらに、ローマ市民権を持つパウロを裁くほどの覚悟がフェリクスにはありませんでした。
しかも、使徒パウロ側から賄賂まで期待していたのです。

様々な要因で、フェリクスは使徒パウロの裁判を無駄に長くほったらかしにしていたわけです。

私たち現代人から見ても、彼の政治能力はそれほど高くないと考えられます。
当時の皇帝ネロも、同じだったようです。

皇帝ネロは、総督フェリクスの無能さに怒り、総督を辞めさせて死刑にしようとまでしました。
死刑は免れたようですが、総督職は罷免させられたのです。

この総督フェリクスの煮え切らない態度によって、使徒パウロは2年もの間、軟禁されました。

しかし、この2年間は福音の宣教にとって非常に重要な期間となったのです。

軟禁と言っても、使徒パウロは友人と自由に面会できる状況でした。
ここに、医者ルカがいたことは疑いがありません。

今までは、宣教の旅の中で落ち着いてできなかった使徒パウロへのインタビューができるようになっていたのです。

しかも、ルカがエルサレムの近くに長く滞在したのも、今回が初めてです。
イエスさまの母マリアや、使徒ペテロをはじめとする12弟子に対して、詳しいインタビューができたのも、この2年間があったからでした。

つまり、ルカによる福音書と、使徒言行録の土台のようなものが、この2年間で作られたわけです。

私たちが、福音書のひとつを読み、教会の発展を知ることができるのは、この何にもないように見える2年間のおかげです。

さらに、使徒パウロにとっても、この2年間は非常に重要な期間でした。

今までは忙しく、世界を動き回っていた彼にとって、初めて訪れた静かな時間です。

この期間に、使徒パウロが手紙を書いたという記録はありません。
ただ、神学的な考え、牧会的な祈りや黙想を続けた2年間であったのでしょう。

これからローマに入って、当時の地の果てであるスペインまでの宣教の計画を練っていたのかもしれません。

次の「動」へ向けた、「静」の時間が、この2年間だったのです。

25章から総督は、フェリクスからフェストゥスに変わります。

フェストゥスは非常に有能な政治家であったようです。
真っ先に、エルサレムへ行って、指導者たちに就任のあいさつをしています。

ここで、律法学者たちは、フェストゥスに使徒パウロを移送するように持ち掛けます。

ここにも主の御手が動いています。

確かに律法学者たちは、使徒パウロを殺害しようとする目的で、話をしています。

しかし、律法学者たちが使徒パウロの話をしなかったら、どうなっていたのでしょうか?

前任のフェリクスから、引継ぎは無かったのです。
よって、新任のフェストゥスにとって、2年前に投獄された、一人の囚人に対する裁判は、優先度が低いものだったでしょう。

律法学者が、パウロを殺そうと裁判を提案した故に、フェストゥスはパウロ裁判をトッププライオリティに置いたのです。

使徒パウロは、もう一度裁判を受けて、皇帝へ上訴しローマに行くのです。
まさに、ローマに行くきっかけが、律法学者たちの悪だくみだったわけです。

使徒パウロは、今まで自由に宣教の働きをしていました。
しかし、捕まり自由を奪われ囚人となった後、もっと自由な神様の働きを体験しているのです。

様々な人間の政治の後ろに、主なる神様の御手の動きが見えます。

私たちが動いている時であっても、止まっている時であっても、主は働いていらっしゃいます。

新改訳聖書のコヘレトの言葉3:11「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」

今日一日、動くか静まるか、それは分かりません。

しかし、すべて時にかなって美しい、主の働きを求めて、期待して歩む私と皆さんとになることを信じます。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。