おはようございます。
北海道で強い地震がありました。
とりあえず、私の実家は大丈夫なのですが、ほぼ全域で停電しているそうですので、お祈りください。
今日は、歴代誌上16:23-36でした。
歴代誌は昨日の個所から、ダビデの礼拝の祈りが続いています。
この礼拝が形式的な面で重要なのは、ダビデの用いた礼拝が、ずっと同じく続いていったことです。
捕囚後の第二神殿でも続けられたそうです。
このダビデの礼拝が、そのままイスラエルの礼拝の伝統となったのです。
さて、内容的な面では、昨日の個所は、どっちかと言うとイスラエルと神様の関係における賛美でした。
ここには自分の救いに対する主への感謝が祈られています。
そして、今日の個所は、全地に向けて主の御業が賛美されています。
言うならば、これは外へと向かう『宣教の祈り』となっています。
この祈りの内容の構成も、極めて重要なものです。
自分の救いから宣教へ向かうという流れは、内から外への流れです。
この形は、まさに三位一体の神様の形を表しているからです。
父、子、聖霊の内で行われている愛の交わりが、そこにはとどまらず、外へと流れ出たのです。
主の愛は、神ご自身という最も大きな器であったとしても受け止めきれるものではありませんでした。
あまりにも勢いが強く、あまりにも大きな愛なので、あふれ出て、外へとあふれ出たのです。
このダビデの祈りは、そのような三位一体の神ご自身の姿を啓示する、祈りでした。
今日の宣教の祈りのまとめは、23節です。
「全地よ、主に向かって歌え。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。」
三位一体の主を考える時、良い知らせである福音の宣教は、救われたクリスチャンにとって自然なことだということを忘れてはなりません。
三位一体の神の愛は、私のような小さな器ならば、すぐ、あふれ出て周りの人に届くでしょう。
もし、私の器に穴が空いていたなら、さらにもっと早く、周りの人に神の愛は出ていくことになります。
非常に大切なことは、器が大きいとか小さいとか、穴が空いてるとか言うことではありません。
この器に、三位一体の神の愛が、日から日へ、永遠に注がれ続けていることに気が付くことです。
そして、何より、福音の宣教のモチベーションは、自分に注がれている神の愛と、全く同じ愛が、この隣人にも注がれているという事実です。
30節から天地を創られた主なる神様が賛美されますが、この世界にあるもので、主によってつくられていないものはありません。
世界のすべては主の愛に満たされています。
使徒ヨハネが、神はこの世を愛されたと書き、使徒パウロが被造物世界に神の栄光は表されていると書いた通りです。
私たちは、自分に注がれている神の愛を知りたいと思います。
この愛がどのようなものであるのか、もっと、求めて、具体的に主の栄光を知りたいと思います。
とするなら、同じ愛が隣人にも注がれているのですから、その愛をも知りたいと思うことが自然です。
私が今日出会う、その人には、どのような三位一体の神の愛が現わされているのでしょうか?
私たちは、それを祈り求めたいのです。
日ごとに私に注がれる神の愛が、私の小さな器からあふれます。
そのことを通して、隣人に注がれている神の愛が、明らかにされます。
2つの愛が反応し合うからです。
そこに神の栄光が表されます。
そして、ふたりは共に礼拝を捧げるのです。
私から溢れ出る、神の愛の宣教によって、このような時が来ることを期待して歩む私たちとなりましょう。
――――――――――――――――――
東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。