おはようございます
今日は、詩編105:37-45でした。
詩編105編は、長い詩篇で土曜日から今日、月曜日まで3日間にわたってデボーションになっています。
特に今日の個所は、出エジプトをさせて下さった主の恵み、主の御業、イスラエルに対する愛を回顧しています。
神に反対してばかりいたイスラエルに対して、どれほどの恵みを主は注いでくださったか、詩編の作者は考えるようにさせています。
なるほど、私たちは今までの主の恵みを思い、私の生まれてからの今までの人生をおもいだして感謝できます。
いや、そればかりでなく、天地創造前から今までのすべての歴史、
もっというならば、過去だけではなく、これから永遠に至るまでの主の御業を思いめぐらし賛美することが出来ます。
私の人生は、後ろも前も、上も下も、完全に主の愛で、主の恵みで囲まれていることを忘れてはならないのです。
そして、この詩篇をまとめる節が、45節に出てきます。
45節「それゆえ彼らは主の掟を守り主の教えに従わなければならない。ハレルヤ。」
日本語では守ると、従うと訳されている単語ですが、
(韓国語も同じに訳されています)
ほとんどの英訳で使われている訳語は、Keep と Observe という単語です。
ここで注意したいのは、日本語で従うと訳さらる意味は、ここには無いということです。
ちなみに、従うという英語obeyと訳している英語訳は、実に少数派(2割くらい)です。
最初のKeepと訳されるのは、ヘブライ語でナーツァルという単語です。
これは詩編119編の中で、21個も使われる単語です。
元々の意味は、神との親しい関係を保つ、Keepするという意味を持っています。
主の掟を愛すると訳してもいいかもしれないでしょう。
このような私を愛してくださった、主との関係を切ることなく、常に保っている。
主の御言葉に留まると、イエス様がおっしゃったとおりです。
これは、私の心の中に主の御言葉を留めるというのでは無く、むしろ逆です。
つまり、私が主の御言葉の中へ飛び込んで、そこに留まることが重要です。
だから、常に、主の御言葉を求め、どこに主の掟があらわされるのか、私たちは祈る必要があります。
そして、2番目のObserveと訳されるのは、ヘブライ語でシャーマルという単語です。
Observeとは、目を留めるという意味で、『観察する』と日本語にされる単語です。
つまり、この単語は、目をそらさない、焦点を合わせるという意味なのです。
イエス様の教え、イエス様自身から目をそらさないこと、これが私たちの守るべき掟です。
イエス様が父なる神さまを愛し、従順した方であるがゆえに、私たちも愛と従順を与えられるのです。
決して、主が恵みを私たちに注いでくれたから、主に従うという、等価交換的な関係ではありません。
もしそうなら、主が恵みを注がれなかったなら、私たちは主に従わなくていいのでしょうか?
決してそうではないからです。
(もちろん、主が恵みを注がれない瞬間はありませんが)
私たちは主の教えを守ると言われる時に、何を適用すべきでしょうか?
この従順は、どのような地上の方法でも成し遂げられません。
この従順は、イエス様の方法以外では、私たちに許されていないのです。
ですから、私たちの適用は、イエス様から目をそらさないことに集中されるべきです。
イエス様をKeep し Observeする。
Observeですから、五感の全ての感覚が、これをなさなければなりません。
私たちの
目がイエス様に向けられ、
耳がイエス様の声をきき、
鼻がイエス様の香りを嗅いで、
肌がイエス様をそばに感じ、
舌がイエス様の天国の味を味わう。
全ての感覚が、イエス様をobserveし、イエス様との関係をkeepすることができる1日となることを願いましょう。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。