おはようございます
今日は、歴代誌下4:1-5:1でした。
歴代誌3~4章では、ソロモン神殿の詳しい記述が書いてあります。
全体を絵にしたものも、添付したので見て下さい。
ソロモン神殿は、もちろん、モーセに示された幕屋のイメージを基に、作られています。
恐らくは、サムエルの時代の少し後ですから、出エジプト記を読むことは可能だったでしょう。
ただし、モーセの幕屋が持つ啓示的意味、つまり、イエス様の啓示は薄くなっていると言わざるを得ません。
何よりも、移動できる幕屋と、固定されている神殿では、比べようもないかもしれません。
確かに、ソロモン神殿でも、外は石づくりで、中が金で出来ています。
外から見える姿は石だが、本当は最も尊い金であるという、神であり人であるイエスキリストの啓示を継承してはいます。
しかし、モーセの幕屋には4枚の幕が張られておりました。
ジュゴンの皮、赤い布、白い布、そしてケルビムが刺しゅうされた布です。
それぞれが持つ、イエスキリストへの予表には到底かなうものではありません。
ソロモン神殿を主なる神様が喜ばれなかったわけではありません。
しかし、主が示された方法は、モーセの幕屋にありました。
ソロモン神殿は、人間の知恵によって建てられているわけです。
ですから、ある意味、建築されたその瞬間、破壊されて無くなるということが定まっていたのです。
この豪華なソロモン神殿は崩されて、もう残っていません。
残されたのはなんでしょうか?
実は、真実な礼拝者でもあったイエス様と結ばれた私たちなのです。
まさに私たちは、モーセの幕屋です。
つまり、移動式の礼拝堂です。
罪人ではありますが、聖霊様で満たされることが許されています。
まさに、私たちは、ジュゴンの皮のみすぼらしさ、キリストの血の赤、清められた白、価値のある金のすべてを持っているのです。
私たちの全ては礼拝である、忘れてはならない真実です。
さて、ソロモン神殿で注目したいのは、海と呼ばれる水槽です。
モーセの幕屋においては、唯一、寸法が書いてない部分です。
今日の5節「「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は優に三千バトもあった。」
優に三千バトと書いてあるのですが、恐らく、見た人も正確な容量を計れなかったのだと思われます。
三千バトは、6900リットルで、水にして約7トンの容積です。
この海は、無限に大きいことが大切な象徴的意味でした。
ここで何が行われたかといえば、祭司たちが自分の罪、汚れを洗い流したのです。
罪がどれほど大きかったとしても、それを洗い流す海は、人間には計り知れない大きさを持っているわけです。
主の贖いが、いかに大きいものであるかが、この海によって表されています。
しかも、この海は聖所の外にありました。
贖いは見える形で外にあり、人は贖いを通って聖所に向かうのです。
イエス・キリストの贖いである十字架は私たちの目で見えるものでした。
この計り知れない贖いを通して、私達は、自らを聖所として、礼拝を捧げるのです。
今日、私が行く場所が、礼拝する場所となり、イエス・キリストの十字架を見せ、礼拝の喜びが溢れることを祈りましょう。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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