11月20日早天メッセージ

投稿者: | 2018年11月20日

おはようございます。
今日は、歴代誌下17:10-19でした。

昨日の個所でヨシャファト王が行った、みことばの教育によって、国がどうなったのか、結果です。

10節「主への恐れがユダを取り巻く地域の国々を襲い、ヨシャファトと戦いを交えるものはなかった。」

神の恵みに囲まれているものは、その恵みが恐れとなって周りに波及します。

もちろん、この恐れは、恐怖といういみの恐れではありません。
「タダものではない」とか「侮ると危険である」と言った畏敬の念が強い方の恐れです。

これは、神の「聖」である性質から来るものかと思いがちです。

他の者とは区別された存在という、「聖」は、タダものではない雰囲気を持つからです

ただ、三位一体の神は「聖」である神ですが、「聖」だけの神ではありません。

「聖」だけの神は、アッラーもそうであるし、ユダヤ教の神もそのような存在です。
人間とは違う遥かなる高みにいらっしゃる神という概念は、どこの宗教にもあるということです。

「聖」だけの神は、人間を超えているがゆえに、逆を言えば、人間と関係を持つことが出来ません。

無神論が唯一、真実であるポイントは、この「聖」だけの神はいない、と考えたことです。

「神は死んだ」という言葉の「神」は、「聖」だけの神に他ありませんでした。

しかし、私たちの知っている神は、全く違います。

確かに「聖」である方です。しかし、同時に「俗」である方です。

神でもあるし、人でもあるからです。
イエスキリストが、人であることによって、神は人と関係をこれ以上ないくらいに、深くされました。

しかも、死ぬべき肉をとってこの世に来られたのですから、聖なる神は、本当の意味で「俗」となられたのです。

全ては、三位一体の神が「愛」であったからです。
愛は、2つの者を強く結びつける帯のように働きます。

愛は、まず三位一体の神ご自身を、堅く結びつけています。
そして、同じ愛は、三位一体の神と、私を固く結びつけているのです。

ヨシャファト王の神を求める努力は、この愛によって国を結びつけることに成功しました。

世界のどこにもない愛、この天から与えられた愛は、世界に向かって「タダものではない」ことを表現します。

「タダものではない」愛によってキリストに結び付けられたクリスチャンは、まさに「タダものではない」存在として恐れられるのです。

12節「ヨシャファトはますます勢力を増し…」

「ますます」と訳されている言葉は、「最上限まで」という意味を持っています。
つまり、もうこれ以上は無理ですよというレベルまで、ヨシャファト王は強くなったということです。

私たちにとっての最上限はどこにあるのでしょうか?

私たちは、神の国という最上限を知っているのではないでしょうか?
神が治める、栄光の光によって包まれる国こそが、最上限です。

この国に向かって私たちは歩んでいるわけですが、忘れてはならない祈りが、主の祈りにあります。

「御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさしめたまえ。」

最上限、最高である御国が、私の生きている地上に来るように祈ることこそが、私たちの使命です。

地上であらゆる足りなさを、神の愛によって満たされるように、
ますます、愛が私たちから流れ出て、そこに御国が来るように、切に祈り、タダものではない今日一日を歩むことを期待します。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
毎日午前6:00~7:00までお祈りの時を持っています。