おはようございます
今日は、歴代誌下28:16-27でした。
ユダの王アハズは、主にかなうことを行わなかった王でした。
父ヨタムと、彼の子ヒゼキヤは、主に従った王であったのに、彼は真逆の人生を歩んだのです。
アハズという名前は、アハズヤの短縮形です。
意味は、「主が握られる」という恵みの名前だったのですが、彼の人生はそうなりませんでした。
アハズヤから、神という意味の「ヤー」が省略されていること自体が、彼が神から離れてしまうことを示唆していたのかもしれません。
アハズ王は、あらゆる偶像礼拝をしました。
自分の子供でさえ、偶像への捧げものとしたくらいの偶像礼拝者だったのです。
主から離れたことをわからせようとして、主は、エドム人、アラム人等を用いてユダを辱めました。
しかし、そのような中でも、エドム王は主により頼むのではなく、偶像に助けを求めたのです。
22節が印象的です。
22節「このアハズ王は、災難のさなかでも、なお主に背いた。」
危機の時にこそ、信仰の本当の姿は見えます。
しかし、アハズ王は、もっともっと偶像を求めて主の怒りを得たのです。
彼は、まさに恐怖に支配された王でした。
その恐怖を解消しようとして、何か目に見える安心、保証が欲しくて偶像を作り、それを拝みました。
戦争に負けていく中で、もっと強い王に頼り、もっと強い偶像に頼ったのです。
しかし、このような不安の解消の方法は、喉が渇いた時に海水を飲むのと同じです。
海で遭難すると、水がないので非常に苦しい状況になります。
もし間違って、海水を飲んでしまうと、人間の体の水分はさらに奪われてしまいます。
それは、死を意味しています。
海で遭難したら、どんなに喉が渇いていても、海水を飲んではなりません。
それと同じように、私たちが人生で遭難し苦しい時、周りに見える簡単な方法で対処してはならないのです。
主以外のもので、私たちの飢え渇きを満たすことは不可能なのです。
天から降ってくるマナ、生ける水であるイエスキリストを待つ必要があります。
このような、酷い状況にあったアハズ王ですが、主は憐みをかけてくださらなかったのでしょうか?
おどろくべきことに、この偶像に支配されるアハズ王に遣わされたのが、イザヤだったのです。
イザヤ7章に書かれている内容ですが、ここでインマヌエル預言がなされるのです。
イエスキリストの預言、非常に重要な預言です。
私たちにとって最高の慰めであるインマヌエルは、アハズ王に与えられた御言葉でした。
世の中の不安と、恐怖の中。
未来が真っ暗で何も見えないような状況の中。
王も民も、誰も主を知らず、みんなが道を誤って歩んでいました。
しかし、そのど真ん中に、主はインマヌエルを宣言されたのです。
この真っ暗闇にこそ、主の輝かしい光が与えられるのです。
むしろ、そのような真っ暗闇にいるからこそ、主の光は私に表され、私は主の光を照らすことが出来るのです。
私たちの遣わされる現場は、主から見れば良いとは言えない環境です。
みんな、主を知らず偶像を礼拝しています。
しかし、そのような暗闇の現場にこそ、私たちはインマヌエルを宣言できる証人になると信じて期待しましょう。
主の光が照らされると信じます。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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