2019年1月3日早天メッセージ

投稿者: | 2019年1月3日

おはようございます
今日はマルコ1:35-45でした。

今日の個所は、イエス様の早天祈りと、重い皮膚病患者の癒しの場面です。

この二つの場面において、共通的な振る舞いがあります。

まず37節です。
『見つけると、「みんなが捜しています」と言った。』

町にいた人たちが、イエス様を探していました。
しかし、彼らの興味は、イエス様ご自身にはありませんでした。
その癒しの御業であったり、悪霊を追い出される姿であったりしたのです。

イエス様ご自身がそこにいるにもかかわらず、イエス様の存在を求めたものは誰一人いなかったのです。

だから、イエス様は38節のように答えます。
『イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」』

他の町や村へ行こう、ということは、探している人たちのところではない、違う場所へ行こうという意味です。
自分のわざを面白がって求め探している場所ではなく、まだ、そのようなうわさがない場所へ行こうとされました。

その方が純粋に、イエス様の話す言葉に集中できると思ったからです。

ちなみに、「宣教する」と訳されているギリシア語は、ケリグマという単語で、宣言するという意味です。
英語では「preach」と訳されていて、メッセージするというニュアンスが強い言葉です。

39節にも同じく、ケリグマが使われています。
「そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。」

このケリグマが、新改訳では「福音を知らせる」という日本語に訳されています。

ただし、原文には福音という単語であるユアンゲリオンは、一言も使われていません。

ユアンゲリオンは、使徒ペテロにおいて、イエス様のケリグマが信仰によって解釈されたもののはずです。

もちろん、私たちにとって、イエス様のケリグマは福音なのですが、マルコによる福音書において、福音を使うことは行き過ぎかも知れません。

ここで、非常に大切なことは、イエス様の口から出た言葉が、まさに神の言葉だったということです。

イエス様の口から出た言葉は、福音というような知識的に、思想的にまとまった言葉ではありませんでした。

それは、生きていた神の言葉だからこそ、弟子たちの心に刻まれたのです。
だから、読む私たちの心にも、生きている神の言葉として聖霊様によって届いてくるのです。

次の場面において、思い皮膚病を癒されるイエス様が出てきます。

この人は、イエス様を信じて求めて、近づいてきました。

本来、らい病、ハンセン氏病は、汚れた病として、人に触れることはおろか、近づくことも許されていませんでした。

自分がその病であることを、「私は汚れている」と大声で言って、知らせなければならなかったのです。

ですから、この病人がイエス様に近づいたこと自体が、律法違反でした。

しかし、なりふり構わず、イエス様の元に来たこの病人の信仰を、イエス様は認められ、癒されたのです。

ただ、44節から見ると、イエス様は注意を促しています。
44節『言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」』

だれにも話さないように、という戒めをしています。
癒されたことだけが、独り歩きすることをイエス様は嫌っております。

大切なことは、イエス様ご自身であり、その口からである神の言葉だったはずです。

が、癒しや清めが先行して伝わってしまうと、それは宣教の妨げとなります。
実際、45節に書いてある通り、イエス様は町に入ることすらできなくなってしまいました。

本質から外れた証しが、宣教を妨げるという状況を生み出すという、皮肉な結果となっています。

だからこそ、私たちは、イエス様の御心をきちんと理解しなければなりません。

宣教をするな、証しをするな、とイエス様はもちろん、おっしゃっているわけじゃないのです。

なにより、宣教はイエス様の働きの本質ですし、イエス様の存在自体が、三位一体の神様の宣教だったのです。

だから、イエス様はメッセージされましたし、イエス様がメッセージそのものでした。

私たちの注意すべき点は、私たちの宣教や証しがイエス様まで到達しないことです。

イエス様のイメージであるとか、イエス様の知識、イエス様の思想に留まることです。

そのような、冷たく死んだイエス様の何かは、宣教の妨げです。

ですから、私の語っている言葉に、生きているイエス様がいらっしゃらなければなりません。

いま、私の中で働いているイエス様が、私の言葉から、私の行動から、生き生きと表されなければなりません。

聖霊様の働きは、いつもダイナミックだということ、イエス様は私を動かしているということ、このことをケリグマ(宣べ伝える)ことが私たちに求められています。

今日も、生きているイエス様を表現する私と皆さんとになることを願います。

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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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