おはようございます
今日はマルコ6:30-44でした。
非常に有名な5つのパンと2匹の魚の奇跡です。
4つの福音書に描かれていて、重要なイエス様のメッセージだったことが分かります。
様々な視点からメッセージされる個所ですが、今日は、イエス様のセリフに注目しましょう。
それが37節「これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。」
「あなた方が、彼らに食べ物を与えなさい」
このチャレンジは、弟子たちにどのように受け止められたのでしょうか?
なに馬鹿なことを言ってるんですか?
頭がおかしくなったんですか?
今まで、たくさんのイエス様の奇跡を目の前で見ていたにもかかわらず、弟子たちは頑なでした。
もちろん、聖霊様の助けが、彼らには無かったからです。
人間の力で、イエス様を先生!と呼び、従っていた彼らには、決定的な信仰が欠けていました。
食べるものが足りない!
何かが不足している、ということは、私たちの人生で、たくさん起こることです。
お金が足りない!人が足りない!能力が足りない!・・・。
私たちは、礼拝するとか、賛美するとか、祈るとかいうときに、信仰をチェックすることは難しいです。
もちろん、その場所に来るために信仰が必要です。
でも、来てしまえば、あとは楽なので、詳しくは自分を見つめられません。
一方で、お金を使う、仕事をする、食べる、寝る、遊ぶ、このようなときにこそ、私の信仰は表現されることに気が付かなければなりません。
現実的な問題が目の前にある時、私たちは何を考えるのか、誰に頼るのか、試されています。
何よりも、弟子たちは旧約聖書を読んでいるのですから、モーセを思い出さなければなりませんでした。
荒れ野で食べものがない、飲む水がないとき、モーセはどのようにそれに対処して、主なる神様がどのように答えてくださったか、思い出すべきでした。
いや、そこまでは無理だったとしても、ちょっと前の経験を思い出せばよかったのです。
12弟子は、この奇跡の前に宣教旅行に出かけています。
その時に、宣教旅行中、何も持っていかなかったのに、何ら金銭的、物質的な不足が無かったことを告白しています。
それが、主によって養われていることの証しだったことを、思い出すべきだったのです。
自分の不足を満たしてくださる主を体験していながらも、彼らの信仰は、直面する現実に負けたのです。
イエス様は、現実の問題に直面した私たちに、同じ質問を投げかけられています。
「あなた方が、彼らに食べ物を与えなさい」
これは、「どこにあなたの信仰があるのか?」という問いに他なりません。
現実の問題に対して、主に祈り、委ねる、頼るのは主のみであるという、リアルな信仰こそ、主が望んでおられることです。
信仰は、まさに現実世界において生きていなければ、生きているイエス様を証しすることは出来ません。
逆に言えば、現実の使わされている場所じゃないと、信仰は輝けないのです。
イエス様の問いかけに対して、イエス様へより頼むことを選択する私たちとなることを期待します。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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