おはようございます
今日はテトス1:10-16でした。
昨日からテトスへの手紙となりました。
テトスは、使徒パウロのために様々な働きをした弟子でした。
使徒パウロがクレタ島において伝道したという記述は、新約聖書にはありません。
しかし、クレタ島に滞在したことはあるので、その時に教会が出来たのではないかと考えらえます。
そのクレタ島の教会にテトスは、長老(監督)として派遣されたのです。、
昨日の個所で、監督の資格が語られます。
この監督と訳されているのは、現代でいう長老、牧師、監督、執事、そのような職務が混ざったような意味を持っています。
そして、今日の個所は、その監督がどのような働きをすればよいのかが、書かれています。
時代的には、教会は教理や組織が確立してきたころでした。
ただ、教会が強く結束するのと同時に、偽教師たちが教会に入り込んだ時代でもありました。
主日に分かち合っている1ヨハネも、そのような偽教師たちに警告をしています。
特に、テトスのいたクレタ島では、偽教師たちの働きに対抗することが出来なかったようです。
10節にある通り、秩序ある生活を守れないものがたくさんいたようです。
他の聖書の手紙によれば、彼らは、荒唐無稽な空想話に陥ったり、道徳的にも堕落し、貪欲で、好色でもあると書かれています。
このような人たちを上手く牧会するという、非常に難しい仕事がテトスに任されていました。
教会を良く治めるために、使徒パウロは2つのテーマを語りたす。
それらは、「健全な教え」と「良いわざ」です。
健全な教えが無ければ、良いわざは行われません。
良いわざを生み出さないのであれば、それは健全な教えとは言えません。
このふたつは、切っても切れない関係にあるということです。
良いわざが全くなかったクレタの教会に、厳格な態度で臨みなさいとパウロは命令しました。
13節『この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、』
羊飼いには、羊を良き牧場に連れていったり、優しくケアしてあげたりという仕事もあります。
しかし、ダビデがそうであったように、羊を狙うライオンと戦って、羊を守る時も必要です。
健全な教えではない異端的な教え、良いわざではない悪い行い。
このような戦いもしなければならないのでした。
もちろん、当時戦っていたのは、ユダヤ主義者たちでした。
彼らは、目に見える清さだけを大切にし、心は汚れていました。
現代にも通じる偽教師たちの特徴は、何でしょうか?
16節『こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです。』
神を知っているといいながら、行いは、神から離れているものであったのです。
神から離れているということは、イエスキリストから離れていることも表しています。
この神は、生きている神です。
まさに愛の神です。
愛は、自分に向かってくるものではありません。
愛は、外へ働きかけなければ、愛では無いのです。
もらうよりは与える方が幸いである。
イエス様はおっしゃいました。
愛は生きていて、外へ出ていくものだからです。
だから、今日も私の心を主が駆り立てて、愛へ向かうことを期待しましょう。
生きていて外へ出る愛が、私の心、を手足、口用いること信じます。
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