おはようございます
今日はテトス2:9-15でした。
今日の個所は、奴隷でクリスチャンとなった者たちに対する牧会的なメッセージです。
当時のローマ帝国内では、大部分の人は奴隷としての身分で働いていました。
ですから、教会にもたくさんの奴隷たちがいたわけです。
10節を見れば、奴隷であるから特別に何かあるものではありません。
救われたクリスチャンに、奴隷と自由人の区別はないからです。
むしろ、奴隷としての立場を、神の教えを輝かすチャンスととらえなさいと言っています。
世の奴隷にとっては、主人は好きなものではありませんし、時に、家の財産を盗んだりもしたのでしょう。
奴隷の常識に対抗すべきだと、使徒パウロはここで言っています。
この態度は、ただの道徳を越えたものがありました。
イエスキリストは僕となられて、地上において御業を行ってくださったからです。
まさにイエス様は地上の奴隷であした。
しかし、その奴隷生活を通してこそ、主なる神様はご自分の計画を成し遂げられました。
イエス様の奴隷生活が、私たちにとっての恵みであったのです。
11節「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。」
これはイエス様がお生まれになった初臨を表す言葉です。
そして、もう1つの表れが書いてあります。
13節「また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」
この栄光の表れは、もちろん再臨を表しています。
このふたつのイエスキリストの表れこそが、神の計画でした。
使徒パウロは、創世記においても、「光あれ」という命令が、神の表れであったと信じています。
彼は、始めから、最後まで、ずっと神の恵みによって私たちは、囲まれていると確信していました。
この神の恵みは、良い業を行おうとするクリスチャンの上にも注がれているのです。
私たちが、神の良い業を行う動機は、この良い恵みに満たされているからにほかなりません。
創世記から最後の日まで、私たちが生まれてから死ぬまで、この良い恵みは現れなかったことがありませんでした。
私たちは、今でも弱い立場にいます。
未だに地上におり、未だに罪を持っております。
しかし、その弱さの中に、神の強さが現わされることを期待することが出来ます。
私の中に神の恵みが流れ、良い業が起こされることを信じて、歩むものとなりましょう。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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