3月4日早天メッセージ

投稿者: | 2019年3月4日

おはようございます!
今日はヘブライ2:10-18でした。

今日の箇所は、イエス様が私達と同じ存在であったということが強調されます。

11節「事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。」

イエス様と私達とは、関係のないものではありません。

それは、ひとつの源、つまり父なる神様から出た同じ存在であることを告白しています。

そのイエス様が地上に来られたということは、驚くべきことでした。

これは、例えば、ある王様がその身分を隠して、みすぼらしい服を着て、平民と同じ場所に現れて生活をしたという事ではありません。

本当は、王なのに、それを一時的に辞めて、地上へ来られたというのではありません。
仮の姿として、みすぼらしい姿をしていたということではないのです。

もしそうならば、イエス様の苦しみはただのパフォーマンスでしかないからです。

ですから、イエス様は肉をかぶって、もしくは、着て来られたわけではありません。

『肉となられた』のです。

イエス様が人間であったのは、本当の意味で、私たちと同じでした。

受肉とは、本当に、私達と一つとなられたという奇跡なのです。

14節にも『ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。』

こう書いてある通りです。

しかも、この肉は、罪を犯す前のアダムが持っていた完全な状態の肉ではありません。

私たち罪人が持っている肉とおなじです。

この肉は、誘惑を受ければ苦しみます。
しかも、死んで朽ちるべき肉です。

イエス様は肉となられ、肉から切っても切り離せない存在になられました。

ある意味で、イエス様は原罪を背負っている罪ある人となったのです。

17節「それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。」

この通りです。

その肉に罪を背負いながらも、しかし、罪を犯されなかった。

肉となったのも奇跡ですが、その肉を持って罪を犯さなかったのも奇跡です。

イエス様に主の愛が絶え間なく働いていたからにほかなりません。

そして、もちろん、死ぬべき肉を持っていたからこそ、その死を持って、死を滅ぼすことができました。

贖いの為に、肉となられることは、主なる神様のご計画だったからです。

ですから、イエス様の贖いは、神の愛が、罪からくる死よりも強いのだと、はっきりと表しています。

そして、イエス様の誘惑、試練は、私達と性質が全く同じであると言えます。

18節「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」

この事実は、私達に大きな慰めと希望を与えてくれます。

私達が誘惑を試練を受けている時、イエス様は本当に同じ誘惑と試練をお受けになったからです。

しかも、イエス様はその誘惑に試練に勝利されました。

ですから、同じ存在である私達も、誘惑と試練に、勝つ希望をもつことが出来ます。

今日も、イエス様と私が信仰によって同じであることを信じ、あらゆる誘惑に勝たせて下さる主と共に歩むことを期待します。

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