おはようございます!
今日はヤコブ4:1-10でした、
ヤコブは、口の問題に続いて、心の高慢の問題を取り扱っていきます。
ここには、世を愛して神に敵対する高慢、
兄弟を捌く高慢、明日の日を誇る自己過信の高慢、
貧しい人々を搾取して、快楽に拭ける富の高慢を扱って、手紙が終わります。
今日の箇所は、この最初、神に敵対する高慢です。
特に、兄弟姉妹の間にある争いの原因が、高慢であると告白します。
自分の快楽のための欲望が、争いを生み、人殺しまでするわけです。
4節の通り、「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。간음한 여인들아 세상과 벗된 것이 하나님과 원수 됨을 알지 못하느냐 그런즉 누구든지 세상과 벗이 되고자 하는 자는 스스로 하나님과 원수 되는 것이니라」
そのとおり、世と同じ価値観で生きているなら、それは神に背いているのです。
そして、ヤコブは、そこから悔い改めてもどってくるように勧告します。
そのときの動機として、5節と6節を語られました。
5節「それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、너희는 하나님이 우리 속에 거하게 하신 성령이 시기하기까지 사모한다 하신 말씀을 헛된 줄로 생각하느냐」
ちなみに、旧約聖書の中にこれと全く同じ箇所はありません。
よって、この言葉は聖書の引用ではなく、旧約聖書全体のまとめです。
確かに、創世紀において、人間を神の霊を吹き込んで、生きるものとされました。
神に似せて造られた人間を、妬むほどに愛されたのも、旧約聖書全体のテーマです。
神の妬むほどに強い愛が、私たちには注がれていて、それが私たちに大きな恵みを与えています。
この愛に答えることこそが、人間の祝福の道です。
人間が高慢である限り、この愛を受け入れる事ができません。
神ご自身が全存在を使って、命を投げ出すまでに愛してくださっているわけですから、
この愛を受け入れるには、自分という存在が死なない限り、不可能です。
むしろ、私たちは、神の愛がどこまでも、私たちを愛し続けているという確信がなければ、
悔い改めて、自分を殺して、イエス様を受け入れることができません。
悔い改めてから、神の愛を信じるのではなく、神の愛を信じ、神によって赦されているから、私たちは安心して悔い改めることができます。
7節以下に、「Aしなさい、Bとなるから」という構文を使って具体的な悔い改めてを勧めていきます。
聖書で見る命令形は、その全体が神の働きを根拠としています。
ですから、7節以下のすべての命令形も、神の妬むほどに強い愛があるゆえに、
その愛に反応する、従順する、受け入れることを命令します。
しかも、これらの命令を、まず模範者としてなさった方が、私たちにはいます。
イエス様こそが、神に従い、神に近づき、心を清め、嘆き、悲しみ、泣き、主の御前にへりくだられました。
そうなさったイエス様がどうなったのかは、私たちがよく知っています。
イエス様とともに、イエス様に倣うものとして、私たちもへりくだって、主が私たちを愛してくださっていることを体験しようではないでしょうか?
今日も、神に従い、近づき、御前にへりくだる私たちとなることを期待します。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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