おはようございます!
今日は、フィリピ1:22-30でした。
使徒パウロは生きることも、死ぬことも、キリストにあって益であるという結論を話した後に、更に話をしていきます。
この世を去って、キリストと共にいることが望ましいけれども、
肉にとどまって生きている方が教会によって、必要ではないか?と告白していきます。
ですから、いま、捕まっているけれども、もう一度会って、みんなを励ますまで、
共にキリストの喜びに満たされていようと勧めています。
初代教会には、だいたいの教会に偽教師たち、敵対者が登場するのでうが、
フィリピ教会も例外ではありませんでした。
具体的なことまでは書いてはいませんが、3章には「犬」と呼ばれており、パウロの攻撃的な批判が向いています。
この敵に勝つことができるようにと、パウロは信仰のための勧めを告白していきます。
それが27節から始まる、一致の勧めでした。
キリストの福音にふさわしい生活とは、一つの霊に立って、共に戦っている姿でした。
そうすれば、敵に負けることはないといいます。
キリストの福音にふさわしい、聖霊様に満たされて、一致の信仰生活を送ること自体が、
福音の証しをすることですし、その神の国の証しは、サタンの滅びを意味しています。
サタンを退かせるという戦いで、有効な戦略は、栄光に栄光を私たちが表すことです。
確かに、巧妙に私たちを騙そうとサタンたちは、誘惑を悪を、仕掛けてきます。
しかし、イエス・キリストにしっかり立って、生きている主との交わり、
神の愛を体験すること、イエス・キリストの表現者として、私たちが歩むこと、
これ以上の攻撃は無いということです。
これは戦いなので、苦しむことも含まれていると、パウロは告白しています。
使徒信条の中での、イエス様が「苦しみを受け」という告白は、ただゴルゴダの丘への道や十字架につけられる前の苦しみだけではありません。
地上にお生まれになってから、死ぬまでのすべての生活を、「苦しみを受け」と表現されています。
イエス・キリスト共に、永遠の命を受けるならば、イエス・キリスト共に苦しみと、そして、愛の死をも受け取るのです。
ただ、イエス様と同じ戦いを戦っているのであれば、私たちには希望があります。
イエス様の勝利がすでに確実なものとして、歴史に現れたことを知っているからです。
つまり、イエス様とともに、その勝利も受け取ることを確信することができます。
敵がどのようなものであれ、必ず討ち滅ぼされ、勝利は主にあります。
福音にふさわしい歩みが、私たちの信仰の共同体にもあることを、
今日も求め、主の戦いを、主の恵みで戦いぬくことができるように、祈り期待しましょう。
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東京リビングストーン教会は、早天祈り会を行っている教会です。
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