今日は、民数記26:52-65でした。
〇2回目の人口調査の意味
(昨日の箇所)
イスラエルは、ついに約束の地へ入る準備をしていくことになります。
最初の仕事は、26章の人口調査でした。
主から命じられた人口調査は、『主がどのくらい自分達を祝福して下さったのか?』、を目に見える形で確認する為に行われたのです。
で、数字を見てみると、増えた部族は7部族、減った部族は5部族でした。
普通に考えれば、人口は増えるはずでした。
しかし、この40年で部族ごとにはっきりと、その明暗が分かれてしまったのです。
一番減ったのは、シメオン族で63パーセントも減少しています。
これは、先週出てきたバラムの戦略に、やられたのがその理由です。
モアブの地で、異邦の女たちを招き入れてしまった人達。
姦淫の罪を犯してしまったとき、その中心には、シメオン族がいました。
シメオン族の減少は、そこで決定的になったのです。
逆に、最も増えたのは、マナセ族でした。
逆に、63パーセントの増加となっており、主の祝福がマナセ族に臨んでいることが分かります。
これこそは、ヨセフに与えられた祝福の預言通りだ、と言えるでしょう。
全体では、1820人の減少でした。
主は、イスラエルに約束されていたはずです。
産めよ増えよ、あなたの子孫は星の数のようになるという約束がです。
しかし、残念ながらイスラエルの民には、実現しなかったことがはっきりと表れています。
不信仰により、主の約束を信じる事が出来なかった彼らには、約束が実現しなかった訳です。
そして、今日の個所に置いて、この第2人口調査の結果を使って、約束の地における、土地の配分が決まることが知らされました。
信仰によって、受けた主の恵みが、約束の地における土地の大きさとして、表現されたのです。
〇『くじ引き』という信仰告白
モーセは今日の個所で、自分の氏族、つまりレビ人の氏族も記録しています。
レビ人に与えられたのは、相続地の大きさや、人口の多さでは、図ることのできない霊的な祝福でした。
神に仕えるものとしての職務が彼らの祝福でした。
モーセは、相続地を与えられることと、祭司としての職務を与えられることとで、どちらが優れているかを決めてはいません。
聖書は、目に見える形での祝福と、目に見えない形での祝福の優劣を決めません。
それは、祝福自体に焦点を当てていないからです。
祝福は、神の約束を信じた信仰の結果に過ぎないからです。
しかし、この矢印は、逆にたどることができません。
祝福されたからと言って、信仰があるとは、言えないということです。
沢山の土地を与えられたユダ族が、最も信仰が深かったのか?
祭司として、みことばに仕えたレビ族が、最も信仰が深かったのか?
答えは単純ではありません。
信仰によって、どのような祝福が望むかは、私達が決める事ではないのです。
イスラエルは「くじ引き」という、人間が決める事ではない事がはっきりわかる方法で、それを表しました。
どの土地を約束の地として受けるかどうかは、主がお決めになったのです。
まさに、「くじ引き」は、彼らにとっての信仰告白でした。
それは、私のコントロールの外に、主の働き、主の祝福、主の恵みがあると言う事を、信仰もって告白する行為です。
同じように、今日、私にどのような恵みがあるかどうかは、私は選べません。
理不尽に思えるかもしれません。
しかし、だからこそ、私達は、最高の恵みが与えられることを確信できます。
というのは、私が選ぶより、主がお選びになる方が、はるかに良いからです。
民数記で、イスラエルに起こった悲劇の原因は、どこにあったのでしょう?
自分がその祝福を決めようと、自分が動いたことが招いた結果でした。
祝福の種類が問題なのではありません。
主の与えてくださる恵み、祝福をそのまま受け入れた者こそが、本当に祝福されたものなのです。
今日も、私は、「くじ引き」をして、信仰告白しましょう。
何であれ、主が、与えてくださる最高のものに従順して、感謝する私と皆さんとになることを祈ります。